手立て、手段にこそ最大の意義があります
つがいの鳩が電線に。
今日は暑いですね。
ただ真夏の様な暑さではありません。
さて、我々はこの世で仏になることを目標としているのですが、その姿は具体的に言うと
「方便を究竟とする」事であります。
方便とは、手だて、手段であります。
しかし、これを掘り下げると、仏の命をあらわす究極の働きという、意味になるのです。
目標や理想を持つことは大切ですが、目安に過ぎません。
書道でも、書いた字は結果であり、「書いている」過程にこそ、全てあるのです。
つまり、方便、手段や手立てその物が一番重要で、そこに御仏の命の表れがあるのです。
私たちが成ろうとしている、仏とは悟りを開いた方であります。
しかし、悟りとは「悟った!」「極めた!」「出来た!」「もう、わかった!」と言うものではありません。
生涯をかけ仏道に、つまり仏になる道(過程)にかける姿こそ、悟りなのです。
道(過程や手立て)に究極の意義があるという事は、そういう事であります。
その過程を懸命に努めていると、先程申しました御仏の秘密の働きが発揮され、自他共に幸せの光に包まれるのです。
我々は道で始まり、道で終わる。
道以外を選ぶと、やがてとどのつまりがやって来て、深い森に迷う事は言うまでもありません。