情熱をどこに注いでいくか
今年の午年の押絵。
可愛らしいです。
癒されますね。
さて、情熱を注ぐ場所によって、自分の歩いている道が知らず知らずのうちに変わります。
例えば、料理を志す方がいて一人はお店を沢山チェーン展開してお金を設けることが目的の料理人と、料理が好きで料理が単純に続けて行きたいという料理人とではどちらが料理を長く続けていけるか?
もちろん後者ですね。
何事も「好き」には敵いません。
もちろん前者が悪いわけではありません。
これはこれでいいのです。
ですが、目的が「お金を稼ぐ」という事ですのでだんだん手段は別に料理じゃなくてもよくなります。
お金が儲かる仕事をするようになります。
しだいに料理の道からだんだんビジネスの道になります。
もちろんこれはこれでいいのです。
ただ料理に関してですから。
もちろん、料理を楽しんでいるだけではダメです。
お店の運営も考えなければなりません。
ですが、お金を稼ぐことを主眼とすると、道は自覚がないうちに違う道を歩みだします。
ですので、自分の道をいかに続けていけるか?という事に情熱を注ぐことが大切になります。
目的が名声やお金になれば、その時点で別の道です。
日本のお店や会社に「老舗」というものが存在しているのも、伝統を守るという自分たちの商いをいかに続けるかに情熱を注いでいるからではないでしょうか?
お金だけだったらそうはならないです。
「こんな古い建物壊して土地貸した方がいいぜ」合理的価値観を持っている人はこう考えるでしょう。
情熱を何に注ぐか?
どの道を選び、決めるの自分、歩むのも自分です。
ですが、何度も申していますが、この世は仏の世界です。
目的が「道」でなければ、やがてとどのつまりがやってきて、つまらなくなります。
「道」にとどのつまりは存在しませんので、生きているうちは永久に楽しめるのです。