幸せになる為に?
気付けば四季桜が満開に。
もうこんな季節なんですね。
この良い季節に水を差すかのように、台風が近づいております。
避けがたいとは言え、辛い……。
「幸せを手に入れるんじゃない。 幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ。」
<元ブルーハーツ 甲本ヒロト>
我々は「幸せになる為に生きる」と言いますが、別に否定はしませんが、一緒にいると重い空気が漂います。
何故なら、自分は別に今不幸でないのに、「幸せになる為に頑張ろう」といきなり今に影を落とされるのですから
そうすると、「俺って不幸なのかなぁ」と感じてしまい、貴重な時間をどんよりした気持ちで消費してしまいます。
是って勿体ないですよね?
貴重な時間が。
我々は遠い未来に、その山の向こうに幸せがあるんだと信じる事がありますが、それでは時間が勿体ないです。
それに今ある幸せを感じ取る能力がなければ、その遠い未来に存在する楽園に辿り着いたとしても、否
多分その楽園は自分が追い求めれば追い求めるほど遠くに逃げて行くってもんです。
今じゃない、ここじゃない、もっともっとという傲慢な人は幸せを感じる事は生涯ないでしょう。
我々は得難い一生を得て、この数十年という短い時間だけ光を浴びているのです。
しかし、固定観念や常識とされる物から来る心の迷いによって闇に包まれるのです。
そして、包んでいるのは自分自身なのです。
そうすると闇と光がまっさかさま顛倒して見えてしまい、道を踏み外してしまうのです。
確かに、あれこれ問題はあるかもしれません、しかしそうは言っても、何度も言いますが
一度きりの人生で時間も無限には存在していません。
妥協というと悪く捉えられてしまいがちですが、妥協は大切な事です。
妥協するには、我への執着を離れなければなりません。
これは自分の体、命、子供、家族、家、土地、お金、等々、
「自分の」という執着が働く事により苦しみが生まれるのです。
ですが、この世は無常で全ての物、もちろん自分自身を含めて実体が無いのです。
実体が無い世界だから得る物も本来ないのです。
なのに、我執からくる心の迷いによって「ない物をある」と錯覚し、グラグラするあやふやな物にしがみつき
穏やかな心を失い、穏やかな生活を失い、今自分は不幸だと錯覚するのです。
勿論、遠い未来に光り輝く楽園があるという事を思っていても別に悪くはありません。
しかし、今その世界で穏やかな生活を送っている人も沢山いて、それらの人の穏やかな時間を奪う権利は無いのです。
今自分が不幸であると感じるという原因は外面ではなく、内面(心)に存在するのです。