平等だけど…
家で取れた破竹。
煮物にしてもいいし、たけのこご飯でも良いし、楽しみです。
さて、我々は皆平等に尊い存在です。
しかし、平等だからと言って全てが一緒というわけではありません。
仏教語に「松無古今色 竹有上下節」という言葉があります。
松はどの季節、そして葉の交代はあっても今も昔も変わらず青く、竹には上下の節があるという意味です。
松は今も昔も変わらず青いですが、「古今」という区別はあります。
竹は上下の節があり、区別はありますが、一本の竹において上下の優劣の差はなく皆平等であります。
我々人間は皆平等であります。
しかし、親子、師弟関係、先輩後輩などの上下関係や男女関係などの区別があります。
区別はありますが、どっちが上下の優劣の差はありません。
これをはき違えてとらえるととんでもないことになります。
例えば、「客は神様だ」といい、店に無茶な要求をしたり、「俺は先輩だ」といい後輩に無茶苦茶したり
逆に「先輩?関係ないよ、人間皆平等だ」と言い目上の人に無茶苦茶したり
「平等」「区別」を勘違いして捉えるとこういう事になります。
これでは平和はまず訪れません。
「区別はあるけど平等である」「平等であるけど区別がある」と踏まえたうえで生きていかなければ穏やかな世界にはなりません。
その為には互いの良さを認め合い、支え合う事が大切になります。