完成はさせるな
今日は気持ちのいい日ですね。
こんな日はドライブもよし、読書もよし、何しても気分がいいですね。
さて、以前テレビで見たのですが、寿司は握った状態は未完成で
お客さんの口に入る事で100%完成になるそうです。
寿司職人は、寿司を握って満足はしてはダメで、お客さんが喜んで初めて寿司というものが完成するという事です。
完成というのは一見良さそうですが、しかし視点を変えると、怖い事でもあります。
完成する事により、おごり高ぶり、慢心してしまい堕落、衰退が始まるのです。
あの日光東照宮には一部の柱だけ逆さになっている場所があるのですが、
それは誤ってそうしたというわけではなく、伝承の「建物は完成と同時に崩壊が始まる」という言葉に従い
災いを避けるために、あえて未完成な状態で仕上げたと言われています。
そうした心構えがあるからこそ幕府が400年もの間世を治めたのでしょうね。
また、天台宗の総本山の比叡山延暦寺には阿闍梨になる為の千日回峰行という厳しい修行があるのですが
実際には975日であり、25日残す意味は修行は一生かけてするもので、この行で完成をさせないのです。
仏教には「未徹在(みてつざい)」という言葉があり、未だに到達出来ないという意味であります。
我々はこれで良し、これで完成と自覚した時から、先程の建物の様に崩壊、堕落が始まります。
従って、まだまだ自分はたどり着いてないと、謙虚な姿勢で生涯をかけて学ぶ姿が大切なのであります。
そして、その姿は疑う余地なく、仏であります。
それはつまり謙虚を極める事こそ、悟りなのです。