住職の日記

大局的に物事を見る為には…

大局的に物事を見る為には…

来年の干支の羊の押絵。

とても可愛らしいです。

それにしても上手に出来てますね。

さて、「大局的に考える」という言葉があるのですが、これからの時代本当に必要な事だと思います。

良く将棋なんかで大局観と言われ、盤上を駒の部分的な攻め合いに目を囚われるのではなく

盤上を全体を見渡し、自分が今どのような戦況なのか、その後どうしたら善いのかと判断できる能力です。

大局的に捉えることにより、攻め合いが行われている場所とは全然違うところから、妙手が生まれるそうです。

これは、将棋に限らずですよね。

部分だけで物事を見てしまうと、そこだけの世界で頭がいっぱいになってしまい、

大切な事を見逃してしまいます。

もし大局的に物事を見れたら、物事を執着せず見れ争う前に自分のすべきことがパッと浮かぶのです。

よく企業で「戦略」とか「差別化」という言葉を聞きますが、これってどこを見て発している言葉かと言いますと

「お客さん」ではなく、ライバル、同業者だったりします。

如何に相手より多くお客さんを「獲る」かと目を輝かしているのです。

はっきり言うと、怖いですよね。

何か狩りにあうような気持ちです。

そしてその後は「囲い込む」と言った網まで仕掛けられていては落ち着けません。

「あっちはこういうサービスだからうちはこうします」と言うのはお客さんの為のおもてなしではありません。

私があなたにこういうサービスをしたいという事が本当のおもてなしであります。

そして、相手しか見てませんと、下請けに無理を言ったりして、社会全体が疲弊していきます。

それは穏やかではありません。

努力をする事は大切なのですが、そもそもの「目的」は何だったのか?

という事を忘れてしまい、無常の風にまかせっきりにすると、散々な事になります。

そうならない為にも、常に大局的に物事を捉える事が大切になります。

その為には心に余裕(隙間)を持たせる事です。

「こんな忙しいのに持てるわけないじゃん」と思いになられる方もおられるでしょうが

その状態は先程申しました、将棋でいうところの駒がぶつかり合っているところしか目がいってない状態です。

これでは全体を見渡すことが出来れば生まれるはずの妙手は生まれないし、

逆に相手からの妙手をくらい敗北してしまいます。

焦りは禁物です。

焦りは余計な緊張を生み、冷静な判断が出来ません。

決断は選んだ事以外の事を「捨てる」と言う事ですから、その決断によっては

その後の道が良くも悪くも変わっていくのです。

従って、善い決断をするためには、経験も必要ですが、何より冷静になる事が大切なんです。

では、心の隙間を作る為には如何にしたらよいかと言うと、方便(手立て)を一生懸命する事です。

例えば、写経なんかはいい例ですね。

写経は黙々と仏様の教えであるお経を「書き写す」事を目的とします。

我々は普段お仕事をする際、お客さんからお金を頂かなければなりません。

それは資本主義でもあるこの世界では、大切な事ですし、お金がなければ生きていけません。

しかし、それだけに没頭してしまうと、先程の様に視野が狭くなってしまうのです。

そうすると、仕事を失敗すると世界が全て終わってしまったという錯覚を起こすのです。

その仕事以外にも世の中仕事がたくさんあり、まだ発掘されてない仕事だって

たくさん埋もれているのです。

「それしか」ないという固定観念によって我々は苦しめられているのです。

では写経をするとどうして心に隙間が生まれるかと申しますと

先程申しました通り、写経はお経を書き写すことが目的です。

「書き写す」事だけに集中しますから、一瞬でも自分から離れる事が出来るのです。

我々はどうしても普段「これやったら何になるの?」という打算が働いてしまいます。

でもそれは会社や仕事をしていく上で当然で大切な事です。

しかし、それだけでは心に垢が溜まった状態のままなのであまりいい状態ではありません。

昔弘法大師空海様は京都の教王護国寺(東寺)と紀州は高野山を拠点としていました。

都の東寺の激務に心が疲れると、自然豊かな霊山の高野山に上り仏に祈りを捧げ心を癒していたと言われています。

ですから我々も資本主義の世界に心が疲れたら見返りを求めない仏道修行を行う事により、

たった一瞬かもしれませんが自分を離れる事が出来るのです。

自分から離れるという事は、「自分」ではない、そして「他人」でもない

そこは間違いなく本来の虚空の世界なのです。

一瞬でもその世界を遊覧する事により、自分を客観的に観れ「自分は熱くなりすぎてた」「こだわりすぎてた自分が悪いなど」様々な姿が見えて来ます。

勿論これはそれはそれできちんと受け止めて、今後の事に活かせばいいのです。

いきなり土壇場で冷静になり大局的に観る事は難しいです。

しかし、これを普段から習慣づけていれば、土壇場でその普段のトレーニングの効果が発揮されるのです。

普段してない事は土壇場では絶対できません。

人生は決断の連続であります。

つまり、善い決断を出来れば幸せになると言えます。

その為には、大局的に物事を見れるようになることが必要になります。

ですから、普段から、行い(方便)その物を目的とすることを

執り行い、少しでも虚空に浸る事が大切です。

最後になりましたが、今週16日(日)は当山の写経会です。

参加費は千円で、受付時間は13時から16時です。

受付時間内のお好きな時間にお越しください。

日曜の午後静かな書院で、ひたすらに写経をして心の垢を落とし自分を見つめなおしましょう。

皆さんのご参加心からお待ち申し上げます。

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