夜中ヤモリが出てくる時期になりました。
人間は自然を脅かす存在である一方、こうして恩恵を受けている存在もあります。
…真言宗のお経の中に「南無本尊界会 なむほんぞんかいえ」というご宝号があります。
「本尊」と言うと、お寺の本尊様かなぁと思われる方もおられますが
特定の仏様を指しているのではなく、この宇宙大自然に広がる仏様の世界をさしているのです。
そうしたこの世に存在する大きな命の世界に「帰依」つまり拠り所とすることによって
心の安定が保たれると言います。
どうして安定するかというと、こうした大きな大きな「本尊様」を敬う事によって、
謙虚な心を養うことができ様々な物を受け入れやすくなります。
こうした謙虚な心が無いと、新しい古いなど偏見や自分は優れているという慢心によって
見下したり、変な妬みからくる怒りにかられたりして心が不安定になりやすくなります。
そうすれば、悪い結果を招きやすくなるのです。
そのすべては、確固たる自分という存在とさらに、どこかその自分は優れているという
慢心によって招かれているのです。
ですから、こうした普段こうした圧倒的な大きな存在に「帰依」することによって
自分という存在はその大きく広がる世界の一部に過ぎないのだという
謙虚な心が身につくと同時に大きな命に包まれているという安心感が得られるのです。
「グレる」「ハグレる」と申しますように、自分は孤独だという誤った思い込みによって
自暴自棄になりやすいともいいます。
しかし、本来この大きな本尊様の中ではそこには別け隔てなく、命はつながっており
このつながりから外れている存在などいないのです。
全ては我々の思い込みなのです。
目の前に広がっている本尊様の姿も、心が不安定だとその本尊様の姿は見えなくなるのです。
ですから、こうしてご宝号をお唱えして、その様々な偏見によって分けられた命を
正しく認識することが大切になるのです。
…人間は嫌いだと毛嫌いせず、窓から溢れる灯に寄ってくる虫をせっせと捕獲する
ヤモリを見て思ったことはそんなことです。