嘘は真実
鬼灯と鬼灯を水にふやかし、葉脈(房脈?)だけが残ってその中に
ちりめんの玉を入れた鬼灯。
これで「よくわかります」。
葉脈とは、葉に茎から養分や水分を運ぶ大切な脈路であります。
この脈から、葉が形成されていくのです。
つまり、我々をあるレントゲン(この世の真理)で撮るとこれが映りだされるのです。
我々は様々な縁で「自分」という存在が成り立っているのです。
つまり、葉の肉の部分と言うのは、「仮の姿」であります。
聖徳太子の言葉に「世間虚仮 唯仏是真」とあります。
意味は、世間は嘘、仮の世界であり、唯一の真実は仏法であるということです。
我々は世間の流行や新しいものに目を奪われ、大切な事を見失いがちです。
しかし、世の中がどう揺れ動いても、唯一の真実は仏法であるのです。
従って、軸ははどこにあるのか?しっかりと軸を定めて置かなければ
振り回されるだけなのです。
従って、この世は虚空であると観念し、この虚空の世界で自分という存在が成り立つのは
様々な縁で成り立っているんだ、という事実に至るのです。
目を奪われても、心を奪われず、軸足はしっかりと、法に突き立てておきましょう。
…ということは、嘘、つまり仮の世界も真実なのでは?
葉は養分を葉の中の葉緑体というところで中で、水、二酸化炭素、デンプンなどを光合成して作っているのです。
つまり、世間の姿はそのまま真実になるのではないでしょうか?
うまく行かなかければ、それは縁起の法則に則っていない。
よって、自身が如何に傲慢であるという証拠であるのです。
嘘の世界は真実であるということです。
「世間が悪い、世の中が悪い」ということは、我々が、それぞれ自分に原因があるということになるのです。
良い世の中に、世界にしたいのであれば、「まず」変われるのは「自分」であります。
自分の周りから徐々に照らして行きましょう。
葉脈の鬼灯を眺め思ったことはそんなことです。