全てを否定することは時間の無駄
善悪備わっているこの世で全てを否定することは、時間を無駄に浪費します。
色々な事があるにせよ、その中にもいい所が必ず存在しているのです。
その縁まで捨てて、どのように幸せになればいいのでしょうか?
全ての結果は、縁と因で成り立っているのです。
つまり、「縁」こそ全てと言っても過言ではありません。
したがって、完全に否定してしまえば、大事にしなければならない縁まで壊してしまうのです。
忘れてならないのは我々は幸せになる事が目的なのです。
それ以上でもそれ以下でもありません。
しかし、ここでどのように幸せになるという事を、変にこだわり出すと、幸せは遠のいて行きます。
自分のこだわりを貫くことに躍起になり、ここにはない縁(世界)を追い求めて、自らを苦しめて、自分だけならまだしも周りまで巻き込むとなると、周りはたまりません。
そして、困り果てて、この世は全てダメだ、自分は全てダメだと、またちゃぶ台ひっくり返したら、どうにもなりません。
我々は、人間はあくまでも目的は幸せになることです。
そして、幸せになるためには、縁を大切にしなければどうにもなりません。
その縁を見失わない為にも謙虚にならなければなりません。
謙虚になり、今あるものを感謝して、しっかりと享受する。
ここに遠慮とか、考察などと無駄な時間はいりません。
素直にしっかりと享受すればいいのです。
そうすることにより、すでに自分は幸せなんだ、足るを知ることが出来ます。
これが非常に大切になります。
今我々はすでに幸せなのです。
そして、今の現状に満足できない人は、永遠に何しても満たされません。
そして、心が穏やかでなければ言動も乱れ、当然不幸になります。
もちろん、この世の真理を無視して、自分のこだわりを貫く事も出来ます。
しかし、それには膨大な無駄な時間と、周りも巻き込むという事だけは自覚しなければなりません。
この世は無常で、時間は永遠にないので、自分だけならまだしも、他人様の限りある幸福の時間まで削っていることだけは自覚しなければなりません。
そんなことまでして、一体何がその先にあるのか?
ですから、全てを否定する事は、時間を無駄に食うので止めましょう。
やるとしたら、周りに迷惑かける人がいないか見計らってやりましょう。