全てが「有り難い」
近所の方に「でんすけすいか」を頂きました。
まだ、食してはおらず味はわかりませんが、非常に黒黒として立派なスイカです。
でんすけのでんすけとは、北海道では有名で水田の転作で「田を助ける」という意味が
一説にはあるそうです。
いずれにしてもこうしていただくことは誠に「有り難い」ことです。
さて、「有り難い」って普段当たり前のように使っておりますが
感謝という意味で使われていますが、他にも「珍しい」「滅多にない」
と有るはずのことがない事が起きたことを有り難いと言うのです。
我々は「将来」「いつか」と言う言葉を使い、幸せや目標を遠くに遠ざける事があります。
しかし、誰がそれまでの人生って保証していくれるのでしょうか?
明日というか一時間後、数秒後でさえ何が起きるかわからないのです。
ですから、「今」を生きなければならないのです。
いつまでも「有る」と思い込んでいると傲慢になり、もっともっとと求めるようになり
幸せを感じにくくなるのです。
我々が生きるのはこの今のこの一瞬であり、過去でも未来でもないのです。
「ありがとう」の反対語は「当たり前」です。
と思うと我々は毎日毎分毎秒、奇跡の連続ってわけです。
「奇跡が起きないかなぁ」と思うかもしれませんが、すでに我々は生まれてこれたことも「奇跡」
こうして時を重ねられるのも「奇跡」なのです。
善いことだけが起きて「有り難い」と思っているようでは、穏やかな生き方は出来ませんね。
善いことも悪いことも全てが「奇跡」で「有り難い」のです。