人に役に立つ行為の中で一番好きなこと
知り合いの方から頂いた、もろこの甘露煮。
甘辛く美味しいです。
苦味もあまりありません。
さて、この無常の世界を穏やかにわたって行きたいのなら「無我」になることです。
と言ってもどのようにしたら無我になるのか?
それは、方便究境しかないと思います。
つまり、考える間も無いくらい何かに没頭するということでしょう。
という事で、ずっと続けていける為には「好きな事」であることがまずポイントとなるのです。
好きなことは無意識に続けていけます、誰かにやれと言われなくても続けていけます。
ただ、これには現実的な問題が生じます。
ズバリ、生活です。
その好きなことをしていて、誰かが援助してくれるなら良いですが、そうでなければ
その行いはマズイ方向に向かっているのです。
お腹は空いてくるし、光熱費はあるし、色々と現実的な問題が湧いてくるのです。
従って、ここの部分をカバーしなければなりません。
そこで、相手の不満、不安を解消する「利他行」を欠かせないのです。
相手の不満不安を解消しつつ、自分の行を行うことでバランスが取れていくのです。
まぁ基本中の基本は利他行ですが。
でも、もしそんな現実的な心配をしなくてもいい状況になり、本当に自分のしたいことだけを
やり続けられるようになったとします。
「やったーこれでなんの心配もなく方便究竟ができる」となると思いますよね?
でも、本当にそうでしょうか?
どんなに自分の好きなこともそれが誰かの役にたっていなければ、虚しさがこみ上げて来ると思います。
人は何かの役に立って、つまり相手に認めてもらって初めて自分の存在を認識出来るのですから。
やってもやらなくても、誰も喜んでくれないものって、途中でバテるだけです。
つまり、いくら好きなことだけ続けていける状況でも、それが誰かの役にたっていなければ
継続は無理なのです。
従って、無我の境地に辿り着くためには、自利行は欠かせませんが
その自利行は様々な利他行を行う中で一番自分が「これだ!」としっくりするものをチョイスする事が大切になるのです。
例えば、僧侶の勤行は、他の幸福の為に祈っているのです、もちろん無銭で。
しかし、それだけでは生きていけませんので、利他行、例えば祈祷や供養などを地域住民の
不を解消しつつ、その対価として布施を頂き、自分の自利行を行うのです。
もちろんこの自利行の姿も他に安穏を与えるための物なのです。
ただ、理想は勤行だけで生きていければ良いのですが、現実的にはかなり難しいのです。
従って、無我の境地に辿り着くためには「他の為」の利他行、自利行を平行して行うことなのです。
常に他の為に生きていくというのは、かなり難易度は高いです。
「仕事終わったら、あとは自分の時間」と区切れば、それは完成しません。
仕事が終わった後、お客さんへの手紙を書いたり、ブログ書いたり、SNSで交流したりと区切らない事です。
つまり、この仕事後の行いが自利行に当たるのだと思います。
「そんなこと出来るか」となるのは当然で、好きでなければできません。
だから、人に役に立つ行いの中で、自分が「好きな事」をチョイスすることが、真の幸福なのです。
「そんなもの知るか」と切り捨てればそれまでです。
三界に家はなし。
光の世界で闇の住人となるのみです。