上がったり下がったり
今日は雲一つない空です。
湿気もなく、大変過ごしやすい日となりました。
と言うのもつかの間で、また台風が来ているそうです。
一難去ってまた一難とはまさにこの事です。
……受け入れましょう。
「いいときは焦らない。悪いときはあきらめない。」
<将棋棋士 谷川浩司>
我々はいい事があると、「わーい」と歓喜し、逆に悪いことがあるとシュンと落ち込みます。
それは当然のことで、別に悪い事ではないのですが、ただそれぞれ「過ぎる」と、苦しみや災難を生じる原因になります。
例えば、正月におみくじで「大吉」を引いたとします。
先程の様に「わーいやったー」と歓喜します。
年の初めに大吉って幸先いいスタートですよね?
それだけでも気分が上がります。
しかし、それに浮かれ「過ぎて」しまうと、その高揚感からついつい、行いが雑になったり注意力が散漫になったりします。
そうすれば、いくら「大吉」を引いても、行き着く先はどうなるでしょう?
災難が待ち受けているのは言うまでもありません。
逆に「凶」を引いてしまい、「何だ今年ダメじゃん」と決めつけ、「どうせ何してもダメだ」と努力を怠れば
どうしたって何かが向上していく余地はありません。
おみくじでも、星祭でも、その結果が良ければ、気分が上がりすぎる事を気を付け、心を穏やかにすることを心がけ
悪ければ、如何に最小限に切り抜けるか、または災難を如何に福に転ずるかを心がける事が大切になります。
「何だ結局一緒じゃん」と思うかもしれませんが、我々が拠り所とする仏法とは上がったり下がったりするものではありません。
普遍的な物です。
従って、おみくじの内容を拠り所とするのではなく、もちろんその出た内容を甘んじて受け止め
その後は法を頼りに、心穏やかに生活することを心がける事が大切になります。
いい時はとことん上がり狂喜乱舞して、悪いことが起きれば、この世は地獄、世も末と落ち込み、
極端に上がったり、下がったりするのでは、いつになっても本当の安心(幸せ)には出会えません。
昨日も申しましたが、台風の後は無事が何よりの幸福だと感じます。
もっといい事がありますようにと我々は神仏に祈りを捧げますが、それは別に悪い事ではありませんが
では「今不幸なのか?」という疑問が残ります。
そして、皆さんも経験あると思いますが、何か悪いことが起きたら、「悪い事が起きる前に帰りたい」
つまり普段の生活に戻りたい、何気ない普段が如何に幸福だったのか、身に沁みますよね。
いい事がありますようにと自らの心を「アゲる」事は、わざわざ心の不穏を招いている事になるのです。
では、何を願うかというと、「悪いことが起きず、この平穏な暮らしがいつまでも続くように」という事が
仏法では正解なのです。
以前YOUTUBEで田臥選手が在籍していた頃の能代工業のドキュメンタリー番組を見ていたのですが
田臥選手達は夏のインターハイ、秋の国体、冬のウィンターカップの三大大会を三年連続で制覇しました。
その偉業を成し遂げる為には、努力はもちろんの事、かかるプレッシャーも相当な物です。
優勝したら、プレッシャーから解放され、仲間、関係者同士と大喜びしたいですよね。
しかし、能代工業は優勝しても、その場では互いに喜び合いますが、コートから出た瞬間から
次の試合に向けて準備をしていきます。
従って、優勝しても次の日から、優勝の余韻に浸る間もなく黙々と普段の練習に戻るのです。
これぞ王者って感じですよね。
能代工業は試合中攻守の切り替えが速いと有名なのですが、コート外での切り替えも早いのです。
それは、少しでもそういった余韻に浸れば、気分が変に上がり慢心が生まれるので、その切り替えを非常に気を付けているのです。
優勝と言う絶頂にいる時ほど慎重に気を付けているという事ですね。
真理に沿っているので強いはずです。
船でも波が上がったり下がったりしたら、快適な航海は出来ません。
従って如何に穏やかにいれるか、我々は考え、行動しなければなりません。
その為には法を頼りにし、いい時程、冷静に慎重に気を付けて、悪い時は何が悪いか原因を突き詰め、
災難を福に転ずるように努力することが大切になります。