もっと俯瞰的に自身を捉えないと……
年越しそばです。
今年も残すところ数時間となりました。
何やら、名古屋は明日行きが古そうですよ。
外出される方は十分に気をつけてくださいね。
さて、これからの時代、より「俯瞰的」に物事を捉えらないといけないなぁと思います。
インターネットとリアルの世界が、境目がなくなった今、より自分の本来の姿
方便を今一度考えないといけない時代なんだと思います。
そうでなければ、そうした物に飲み込まれてしまい、かき消されてしまうのです。
例えば、単に物をおいている店だったら、アマゾンで事足りてしまうし、単に手段としてタクシーに乗ったり
車に乗るのであれば、これから出てくるであろう、Googleの自動運転の車で足りてしまうのです。
一説には、Googleはこれを無料で、行うとしているそうです。
Googleは無料で多くの人に利用してもらい、広告費で収益を稼ぐつもりなのです。
利用してもらう、つまり「方便」を目的としているので、これは本当に素晴らしいことであると思いますが
社会に与える影響はすごいものであると思います。
例えば、タクシー業界が、他社と価格の徹底競合とかしているのであれば、これから非常に厳しいので
ないかと思います。
それはなぜなら、先ほど申しましたようにGoogleはそれを「無料」で実施しようとしているのです。
現実にGoogleの自動運転の車が登場したら、今価格の安い高いなんて小競り合いをしていても
ほとんど意味がなく、両者とも共倒れしてそれでお終いです。
したがって、そうした時代に備え、今一度俯瞰的に自身を捉え、Googleができない事、Amazonができない事
機械ができないことを、身につけておく事が大切なんだと思います。
それらができない事、それは関係性です。
つまり、縁をより大切に、その人がどうしたら喜ぶのか、幸せになるのかを考えないといけないのだと
思います。
知多四国にお参りに来られる個人タクシーの運転手の方は、本当に関係性を大切にされています。
春は知多四国、夏は北海道10日間、秋は秩父三十四観音などと、お客さんはこの運転手さんに
行き先だけ伝えて、泊まる旅館、行程はおまかせなのです。
これってただ単に車を運転しているわけでは無いですよね?
見てると、「このお寺は下にお地蔵さんが有るよ~!!」「コーヒー休憩入れようか?」
などと、お客さんの事を常に気にかけ、いろんな情報を教えて、旅行をお伴されているのです。
いいなればドライバー、ガイド、旅行添乗員のハイブリッドですね。
これってGoogleではできないですよね。
これが単に人を目的地までお送りするであれば、皆Googleに流れるでしょう。
しかし、人との関係性を大切に、人を楽しませる事を究竟とすれば
Googleがいかに浸透しても、むしろ追い風になり、生き残って行けるのです。
「考えて仕事をしろ」と言いますが、まさにこれから大切になって来ますね。
ただ、物売り、サービス売りだけだったら厳しくて、
いくら「ちゃんとやってるじゃん」と言ったところで、それは単なる自己満足で
自分と他人の評価を混同としてはいけません。
私がお世話になっている習字の先生は、本当に謙虚に生徒さんに「どうにか役にたとう」と工夫されています。
優秀な人は、相手の立場になって考えて、行動しているので付加価値がよりついてますので
ただ行動している人との差は開いて当然でしょ。
行動を起こすと、それなりに体を使いますので、「今日もいい事した」と実感しますが
意外と自己満足だけで周りはそんなに……。ということはよくある話なのです。
お寺の鐘の音は、僧侶の参集を呼びかけるものですが、それだけでなく
地域住民の時報でも有るのです。
我々の諸先輩は、お寺の鐘の音すらも世の中の役に立たせたいと、謙虚に行動していたのです。
「自身を微細に砕き、虚空に遍満し、他の為に行動する」ということは
いつの時代でも、大切で、これ以上でなければ、それ以下でもないのです。
時代がどんなに揺れ動いても、真理は普遍的なものであります。
つまらないこだわりや、しがらみによって方便が錆びつくのであれば
それを捨てる事です。
捨てるとどうなるのだろうと不安になるかもしれませんが、
そのままでもどうにもなりませんし、「無くす」とまた「得る」のが真理です。
無くす=不幸という、妄想がそれをとどまらせようとするだけなのです。
そうしてグズグズしていると、無常の風に吹かれて、それでよしです。
こうした、時代だからこそ、法を拠り所とし、歩んで行きましょう。
来年も宜しくお願い致します。