まずは自分から行動しなければ
今日はお彼岸お中日です。
という事で本日は、毎年恒例施餓鬼法要を執り行いました。
このブログでも何回もお話させていただいていますが、
施餓鬼とはその名の通り「餓鬼に施しをする」であります。
餓鬼とは誰からも供養を受けられない仏様の事です。
その縁もゆかりもない方々を供養をする事は、大変尊い行いでありまして
その施餓鬼をしている尊い我々の姿を見て、我々のご先祖様も大変喜ばれるのです。
ご先祖様が安心されると我々も幸せですよね?
この施餓鬼は皆が幸せになる尊い行いのです。
以前の記事で方便(手段、手だて)に御仏の命の働き、または秘密の力があるという事をお話したと思いますが
例えば、この施餓鬼一つにしても、施餓鬼の意味や尊さを知っていても、実際にそれを行動に移さなければ
何も変わらないし、効果も発揮されません。
施餓鬼を実際に行動して、初めてその功徳、効果が発揮されるのです。
その行動に尊い価値があるのです。
また。あくまで施餓鬼はご先祖様の供養ではなく、餓鬼の供養であります。
「何故、縁もゆかりもない方々の供養までしなきゃいかん?」
「自分たちを守ってくれる先祖さえ供養出来ればそれで良し」と見返りが働いてしまえば、施餓鬼は出来ません。
よってこうした「自分さえ良ければいい」という考えでは、残念ながら穏やかな世界は広がらないでしょう。
ご先祖様だって自分だけ供養されて、すぐそばで供養されない人を見るのはいたたまれないでしょう。
それは我々の住む世界も一緒です。
そのような、不具合を是正する為には、まず誰かが行動を起こさなければなりません。
その行動とは見返りを求めない行動、菩薩行、布施行であります。
一見自分に直接見返りがなくても、その尊い行いによって生まれる功徳が世界の隅々まで行き渡り、
世の中が穏やかになれば、結果として自分も幸せになるのです。
それは、自分だけの事を考えて行動しているだけでは絶対に得られない、素晴らしい世界です。
そうした、世界に今生で辿りつきたいのなら、自分から行動を起こす事です。
その道(手立て、方便)を究竟とすることにより、自他共に穏やかな世界に包まれるでしょう。
それが、この彼岸の本来の目的でもある、此岸(迷いの世界)から彼岸(悟りの世界)へ渡るという事であります。
今日は「暑さ寒さも彼岸まで」というように、快適な天候の下、施餓鬼を執り行う事が出来、その功徳は倍増したのではないのでしょうか?
そして、最後には皆さんで般若心経を読誦し、読経の声が堂内に響きわたりました。
その功徳は、堂内だけに止まらず世界の隅々まで確実に届いたと思います。
ご参会頂きました、皆様ありがとうございました。