住職の日記

どんなに汚れていても 花果同時

どんなに汚れていても 花果同時

こんにちは。

今日もいい天気ですね。

日差しは暑いですが、爽やかです。

さて、私達の心は最初は清らかです。

それがだんだん煩悩によって汚されて、最初の清浄な心を忘れていきます。

では汚れたからもう清浄に戻れないかというと、そういう事ではありません。

仏に成ろうと決心したら、どんなに心が汚されてしまっても、決して汚れる事のない部分と繋がり、清浄な心は取り戻せます。

花果同時。

仏教のシンボルである蓮は花が咲くと同時に種が出ます。

これを花果同時と言います。

私達の生まれたばかりの心は清浄、つまり蓮の花であります。

という事は種も同時に誰にでも植え付けられているのです。

つまりどんなに心は汚れても、この世での成仏を心掛けた瞬間にその種に繋がり、大きな花を咲かせる事ができるのです。

蓮の花は汚泥から咲きます。

私達人間も煩悩を栄養とし蓮の花の様に美しい花を咲かす事ができるのです。

誰もが最初は蓮の花の様に心は清浄であり、そして誰もが開花と同時に種を与えられているわけです。

ですから、私達人間の心は清浄である事を知り、泥の中にある種に生きている内に気付く必要があります。

汚ない煩悩を利用し、大きい花を咲かせてください。

桔梗がニョキニョキ生えてきました。

可憐な花ですが、本当に生命力が強いです。

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