お寺に行くと心が落ち着くのは
大日堂と木が重なります。
私はこのバックグラウンドがとても好きで、我々が幸福に生きていく上で必要な事だと思っています。
これはただ単に、御堂の後ろから木が顔を覗かしているのではなく、「自然と伽藍が一体となっている」ととらえるべきだと思います。
仏とは真理を体現した方ですので、その仏さんの家である伽藍がこのように配置されているのには重要メッセージがあるのだと思います。
「お寺に行くと心が落ち着く」
その様にに感じる人も多いと思いますが、それはフィーリングだけでなく、理由があります。
お寺の境内には、自然があり、様々な人が寄り添い、様々な生き物がいたり、様々な仏さんが存在し、伽藍がありと
境内に様々な物が集約されているのです。
仏とは覚者であり、覚るとは全てを受け入れるという意味であります。
したがって、お寺は仏の世界を表現した場所ですので、行くと安心を得られるという事はそういう事です。
自然と一体になり、様々な人が寄り添い、分け隔てなく受け入れた場所は、心が落ち着くのです。
変に何かを排除したり、奥行きと高さのバランスが変だったり、こだわりすぎたり、つまりあまりにも不自然な行動をすると、どこかに窮屈さを感じ、居心地が悪くなります。
それは我々人間も一緒で変に何かを排除したり、こだわりが異様に強かったりすると、どこかに居心地の悪さをその人から感じます。
そうなれば、次第に幸せではなくなります。
何故なら真理に反しているからです。
真理を体現している仏様が自然と一体になっているという事は、我々もそうすればいいという事です。
つまり、自然と一体となった伽藍は、人間がどのようにしたら幸福になるのかを表した模範なのです。
自分と自然(真理)のボーダーを解除しましょう。