寒緋桜の蕾が大きくなりました。
この花の特徴は完全に花が開ききらず、ちょうどお寺の鐘の様な形で咲きます。
面白い花ですね。
花言葉は「艶やかな美人」だそうです。
さて、気づけば今日から三月、弥生です。
弥生(やよい)の語源は、調べしたところ、弥(いや)生(おい)からきているそうで
「いよいよ」「生い茂る」という意味だそうです。
これから、厳しい冬に耐え抜いた自然界から、様々な命が動き出します。
…楽な道と苦しい道とどちらか選べと言われたら、ほぼほぼ楽な道と答えると思います。
「我々は苦を和らげるために、努力をしているのに、何故そんな道を選ばなければならないのだ」
とまさに正論です。
しかし、「楽」ばかりを求めていくと、同時に苦が生じている事実もあるのです。
苦の裏は楽で、楽は即ち苦であって、表裏一体なのです。
ですから、仏教では極端に楽な道を進むことも、苦しい道を進むことを否定するのです。
苦が無ければ悟れませんが、あまりにも行き過ぎると、それも悟りの妨げになるのです。
成功者を羨ましいと思うことがあっても、その人のそれまでの努力を目を向けそれを真似ようと
する人は少ないと思います。
美しい花はそれだけで存在しているのではなく、やはりこのような冬の様な苦難を乗り越えた咲きにあると
言うべきですね。
今ネットが普及し、テクノロジーが発展し、普段の買い物も、新幹線や映画のチケットも、かなりのものが
ボタン一つで解決する簡単な時代です。
しかし、反対言えばそのついにある価値観、難しい事がこれからより大切になると思います。
そして、それを自らに課して、この楽な便利な時代を歩み、いろんな輝く命で生い茂る世界にしたいですね。