あなたは何ですか?
朝月夜。
太陽と月を拝める。
神秘的ですね。
さて、もし「あなたは何ですか?」と聞かれたら、何て答えますか?
「○○(自分の名前)です」という事が普通でしょう。
あなたはあなたなのだから、それは紛れもない嘘偽りのない真実です。
しかし、真実とはもう一つ意味があり、究極のもの、真理と言う意味があるのです。
つまり、自分は○○(名前)だという自覚は、認識があるだけで支えられているのです。
では、極微に自分を分解していくと、何が残るのでしょう?
当然、○○(名前)という物は砕かれていくし、肉体も、財産も、名誉も全て砕かれていきます。
じゃあ、何が残りました?
もうお気付きですね。
「心(しん)」です。
「心」とは「こころ」と言う意味もそうなんですが真実とは「活動し続ける命」つまり「方便」です。
それが我々の正体です。
平たく言うと、自分と言う存在は「今何すべきなの」という事です。
この宇宙に存在している全ての物が、常に活動を止みません。
その動きの中に御仏の命の働きがあるからです。
従って、自分と言うありもしない存在のこだわりなど、まずは必要ないのです。
悩むという事は、行動してないからです。
止まったままだから、考え、妄想が悪魔が我々を捕まえ苦しめるのです。
悩みの解消方法はくたびれるまで走り続けるといいと何かの本で書いてありましたが
ある意味正しいですね。
経験も無く、過去の実績もないのなら走り続ける(方便を究竟とする)ことで、清らかな心と
方便の中に本当の大切さがあるという事が自覚できるのです。
「でも好きな事をやれっていう風潮だよ」と思われるかもしれませんが
先程申しました様に、真理は常に動いているのです。
好きな事を探す事に悩む時間を割いて、うまくいっているのならいいですが
うまく行かないから困っているのです。
そもそもその好きな事も、行動の中から見つかりますしね。
好きな事は無意識で何時間もやっても苦にならない事です。
何もしないで考えいるだけで、何かが無意識に好きになることはないでしょう。
やれば、何かしらの嫌な部分が見えて来るし、それを含めて好きになれなければ
嫌いになるだけです。
真理に堂々と自覚もなしに反していて、「好き」も「主義」もないのです。
自分の好きな事は、家族や周りに迷惑を掛けずにやれるくらいの
経済力を持った人がやればいいんです。
自分のこだわりに周りを巻き込んで、夢も目標もないでしょう。
そこで、基本中の基本は君は何?と自分の真実の姿を自覚する事です。
自身を極微に砕けば、自身が虚空に一体になり、その集合体のほんの一部にすぎないと
自身の小ささに気付くはずです。
この力のない自分を眺める事はつらいですが、そんな集合体の中で自分が出来る事は
何だろうと、探すことが出来るのです。
そして、それが見つかるならば、燃え盛る炎の様な熱い命が発動され、迷いなく歩んで行く事が出来るのです。
空じれば、自分は無くなりますが、また真実に基づいた本当の自分が生み出されるのです。
悟りは「目覚め」と言います。