住職の日記

新しい寺院概要できました

新しい寺院概要できました

本日新しい寺院概要が出来上がり、印刷会社から届きました。

A3の見開きになっていて、中にも情報がこんなに。

裏には私の挨拶が載ってます。

前回の物より、少しデザインが変わったくらいです。

印刷会社と言っても、ネットの印刷会社で自分でデータ作って入稿して印刷できるので

非常にコストも安いのです。

何というか、直接自分で触れらる時代なんだなぁと実感しました。

今までは、印刷会社に依頼して、デザイン料、や印刷料などかかりましたが、

ネットやPCがある事により、よほど凝ったデザインでなければ、自分でデーター入稿して

自分で印刷かけられちゃうんですから凄いです。

話は変わりますが密教が登場する前は、仏の教えは書物や人からしか伝えられないとされていたのですが

密教登場後は全ての人に仏の光が直接、照らされたのです。

つまり、「仏」⇒「書物、人」⇒「我々」から「仏」 ⇒ 「我々」と正に直に触れられるのです。

それも貧富の差も、罪が重い軽い関係なく、全て平等にです。

従って、全ての人が幸せになれる条件はすでに整っているのです。

つまりその光を受信する我々次第と言う事です。

光をたっぷりと浴びたいのなら、「謙虚」でいる事が全てです。

謙虚でいれば仏の雨の慈雨も慈しみの光も享受でき、さらに大きく成長できるのです。

今はその時代とは違いますが真実(真理)は何一つ変わっていません。

これだけ、ネットやテクノロジーが発展している時代に生まれているなら

勿論依存はダメですが、駆使すべきです。

伝統や先人の思いを引き継いでいる人なら尚更です。

真言宗の中興の祖の興教大師様も、浄土信仰が広まっていた事を否定せず

むしろ不二の発想で引き寄せ、見事弘法様の教えを次世代へ背負って運びました。

だから、これだけの真言寺院が存在するんだと思います。

こうした時代の流れに逆らった事しても、悪い事はあっても良い事なんてありません。

そもそも、仏様でも善悪差別しないのに、何で我々の様な存在がいちいち善悪決めつけなければ

ならないのでしょうか?

謙虚さを失えば、時代の波に飲み込まれて行きます。

伝統にしっかりと捕まっていた人はそれと一緒にです。

伝統を守りたいと本当に思う人は、それを背中に背負っている人です。

俊敏に動いて行けますからね。

仏の光は、昼夜問わず、平等に照らされているのです。

後は、自身がそれに気づき、行動できるかだけです。

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