大草 地蔵寺の歴史
天平年中(729~749)行基菩薩が当地に来錫し伽藍を建立し、大日如来の尊像を彫刻し安置して山号を大日山と呼ぶ寺号はわかっていないがお寺が建てられた。
その後、五百年間この寺は無住で伽藍は荒れ果てていった。草が生え、土地は荒れ果てて、狐の棲みかになり近隣の住人がこの地を「大草」と呼ぶようになった。
文永年中(1264~1274)池鈴山蓮華寺 中興良敏上人がこの地に来て大日如来を拝しその姿の美しさに感銘を受け、伽藍を再興し大日尊を安置し、また京都の岩蔵山親勝寺(今は廃寺になっている)の大図上人から授かった地蔵菩薩(弘法大師作)の尊像を本堂に安置して、この寺の山号を「摩尼山」寺号を「地蔵寺」と呼ぶようになった。
地蔵寺としての歴史はここから始まる。
永亨年中(1429~1441)政舜が蓮華寺より来て住職となり、さらに尾張の津島牛頭天王社から津島牛頭天王を勧請し鎮守とした。
また、地蔵寺を本寺とする東光院、福生院、奥之坊、大日坊、今寺の六つの寺院を建立した。その後、火災に見舞われるなど災難に遭い、お寺の規模を縮小させ、第十世秀雄代(1624から1644)東光院の薬師如来と地蔵寺の地蔵菩薩を合わせて摩尼山東光院地蔵寺となり今に至る。
地蔵寺のご本尊は「お地蔵さん」
本尊様と間違えるほど見ごたえがのある「大日如来様」がいらっしゃいますが、
当山の本尊様は「お地蔵さん」なんです。
お寺を改修、復興させて弘法大師作と伝わる地蔵菩薩を本尊とするお堂を作りました。
それを機にお地蔵さんがご本尊になったと言われています。
知多市の指定文化財1号「大日如来様」
大草地蔵寺の「大日如来様」は知多半島の中でもかなり大きい仏様だと思われます。
そして、実は地蔵寺の本尊様は昔は大日如来様でした。
「大日如来様」は申、未年の守り本尊であります。
また、薬師如来様とともに知多市の指定文化財(鎌倉時代)なのです。