住職の日記

雲になるには好きな事で突き抜ける

この間の雲とは違い、今日は雄大な雲が流れていきます。

雲は風の吹くがまま流れ、とどまることなく、どこか目的地もなく

時には雨や雪になり、その姿にも執着がありません。

こんな雲のように何事にも執着することなく、悠々と生活したいものです。

…しかし、現実には中々そうは行かないことが多いです。

我々は善悪、損得、そうした価値観とらわれてしまい、結果として動けなくなります。

御仏の命の働きが現れるのはその動きの中でありますから

この世に流れる虚空の世界から外れ、ありもしない確固たる自分に囚われ

苦しくなるのでしょう。

ですから、なるべくあまりいろいろ決めつけないほうがいいかもしれませんね。

…ですが、人には好き嫌いという感情があり、時間も有限なのでそうした現実的な問題も無視できません。

ですから、見返りを求めずとも、行える行為、「好きな事」がいいんでしょうね。

好きな事だったら、そこまで得られずとも、認められずとも

その行為が好きなのだから目的地も特になく、夢中になっている最中は周りの雑音も気にならず

ある種雲のようですね。

そして、継続はし易く好きな事に夢中になっている間は、少なくとも他を否定したり

足を引っ張ったりとする小競り合いにはならないはずです。

…ですから、何事にも囚われないという、無理難題に取り組むより、それぞれが好きな事で

突き抜けた方が、現実的なように思うのです。

もちろん、好きな事と好き勝手とは違いますし、我々の体も時代も常に変わり続けるので

その度に、やれることは変わるので「好きなこと」と言っても、今自分が「できること」の中から

という前提がありますが。

雲が必要に応じて、雨や雪に変わるようにです。

…我々が雲のように無心になれるのは、自分の好きな事をして夢中になっている間だと思うのです。

人様の行いをとやかく言って喧嘩になるより、それぞれが自分の好きな事に夢中になっている方が

余程いいのでしょう。

ですから、本当に雲のようにいきたいのであれば、今自分ができる行いの中で好きな事を

究竟とすることですね。

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