住職の日記

酔うのは酒だけじゃない

酔うのは酒だけじゃない

お墓の淵にテッポウユリが咲いてました。

この花が咲き出すと、もうすぐお盆だなぁと感じます。

お盆も近くなったという事もあり、いつも以上にお墓参りに見える方がおられます。

お墓を見ると、たまに缶ビールがお供えされているのですが、こう暑いとご先祖様もビールが欲しくなるのでしょうね。

さて、「夏といえば○○」という言葉が有りますが、先程も出てきました「夏といえばビール」も

十分当てはまりますね。

まぁ、これからお盆も近づきお酒の席が多くなるかもしれませんが

しかし当然ながら、飲み過ぎには注意なのですが、何かお酒というと「悪の代表」とされていますね。

確かに、お酒は飲みすぎると体に負担に来ますし、酔っ払うと下手すると乱闘騒ぎに発展するからです。

そういった意味で、悪いものとされているのです。

ただ、酔うのは何もお酒だけでないのです。

びっくりされるかもしれませんが「善行」も、注意しなければお酒同様酔う事になるのです。

「善行をしている自分は優れている」という善行行ったことによる慢心がそれです。

これは、勉強でもそうですね。

知識をつければつけるほど、知識が乏しい人を馬鹿にしたり、優越を感じるのです。

紛れもなく、アルコールではないですが、自分の行いに酔ってますね、飲酒同様危険です。

そして、飲酒と決定的に違うところは、慢心していることに気づいていないという事です。

もし、そうした慢心した心で、普段の生活をすると非常に危険ですよね?

人は誰しも煩悩を持っていますし、それを慢心したまま触れると、暴発の恐れがあります。

所謂飲酒運転と同じ状態です。

ただ、こうした飲酒運転とは違い、事件にならない限り、慢心しただけでは誰も取り締まれないのです。

善行や勉強は大切ですし、善いことであることは間違いないのです。

しかし、威張ったり、偉ぶる為にそれをしては、まぁ気持ちはわかりますが

善行も勉強も悪いものになってしまうのです。

ですから、見返りを求めない事です。

何度も申してますが、この世は虚空の世界ですから、本来得るものなんて無いのです。

これが基本中の基本です。

従って、褒めれてもおごることなく、貶されても落ち込むことなく見返りなくても自分が続けていきたいことを

していれば良いのです。

…でも「見返りがなければ、生きていけないじゃないか」と思われますが、その通りです。

我々は、特にこの資本主義社会では誰かに何かを頂かなければ生きていけないのです。

それは、言い換えれば誰かに生かされているという事です。

つまり、その縁によって生かされているという「懺悔(感謝)の心」を忘れては行けないという事です。

そして、生かされている自分はその縁の世界で何すべきか?が第一歩です。

次にその中で何が出来るか?ですね、出来ないことは出来ませんからね。

そして最後に、その中でしたいことです。

すべき事、できる事は義務的ですから対価がなければ継続は難しいですが

それに、したい事が混ざれば、苦難に遭遇しても既にその行いが目的ですから

深く落ち込む事なく、また変に上がる事なく不変的に進んでいけるのです。

自分のしたいことから入ると、認めてもらえない事が多かったりして、そしていくら善い行いでも

「自分の」から入っているので、その行いに囚われて、苦しみを生むだけなのです。

そして、善い行いをしている自分に酔っているので、自他共にメチャ危険です。

酒だけが酔うのではありません。

まぁいずれにしても、お盆休みも近づいてきて、ご家族やお友達と食事することも多くなってくる

でしょうから、飲み過ぎず楽しく過ごしてくださいね。

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