住職の日記

道を極めようとする人は支えられる

道を極めようとする人は支えられる

知り合いの方から和歌山「香梅堂」さんの鈴焼をいただきました。

卵の香りがふんわりしてとても美味しいです。

和歌山県の新宮市の本店しか営業してないそうです。

さて、物や名声などを追及する人と、道を追求する人とどちらが人の支持を得られるでしょうか?

間違いなく後者の方です。

なぜなら我々の住むこの世界は仏の世界です。

密教の出現によって、我々は仏の光に照らされたのです。

仏教つまり、仏道。

道を求める人はこの世界ではきらりと光る仕組みになっているのです。

今の時代もう物やサービスの価値自体はかなり薄れています。

ですから、道を追い求める姿が必要になるのです。

この鈴焼を販売している梅香堂さんのHPを先程見ましたが、「新宮店でしか販売してません。類似品にご注意してください」と書いてありました。

利益を重視するなら、支店を増やし売上を上げるべきです。

創業が明治元年の老舗ですので関西地方の百貨店などでも並んでいてもおかしくありません。

しかし、あえてそうしてないのは、この香梅堂さんがある熊野の街を大切にしているからだと、私は思います。

熊野でしか手に入らないお菓子にしたいというお店の心が伝わってきます。

地元愛を貫くことを心に決めたお店のお菓子は当然地元の人や観光客の人から支持を得るはずです。

実際これを送って来てくださった方も、和歌山の方です。

お店でも利益以外の目的を持つと、長きに渡り支持されるのですね。

老舗はそういう利益以外の思いが第一にあります。

そうでなければ、百年以上もお店は持ちません。

美味しい物だけなら、もう今の時代どこでも手に入るといっても過言ではありません。

技術がかなり進歩しましたから。

しかし、こうした思い(道)は技術が進歩しても、得られません。

道を追い求めないで何を追い求めるのか?

道以外を選択した時点でいずれとどのつまりがやってきます。

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