癖がなくおいしい豆苗。
おひたしにしていただきます。
こうして、また根を水に浸しておくとニョキニョキ伸びてきて
また美味しくいただけます。
…真の施しの心というのは、どんなに与えても減ることはありません。
それは、ろうそくの灯りを他のろうそくや線香などに移しても
その、ろうそくの火が消えない様にです。
もし、その施しに見返りが働くようであれば、それは真の施しとは言えないでしょう。
…では、我々人間はそうした見返りを求めない仏の様な施しは出来ないか?
と言うとそうではありません。
そこで、この豆苗をみてわかりますように、重要なのはまず種(豆)であります。
実は我々は生まれて来る際に誰もが悟りを求める為の種、菩提心を
御仏から授かっているのです。
しかし、知らず知らずのうちに心に塵が積もってしまい我々は
その種を見失っているのです。
そして、次にその種を発芽させる為に必要なのが、水や空気や土などの「縁」なのです。
いくら種があっても周りの縁がなければ芽が出ることはありません。
仏教には「因縁果」と言う言葉があり、果は因と縁で成り立っているのです。
つまり因は菩提心、そして縁は自分の周りの環境ですね。
いくら自分が持つ理想を実現したくても、環境が整わなければ芽は出ません。
そして、反対に恵まれた環境が整っていても菩提心がなければ同じく芽は出ません。
ですから、「因縁果」の真理に沿えば、環境が合わなければ、環境を求め移動をし
移動をしないのであれば、その環境に合う事をすることが大切ですね。
そして、生きて行く上で環境はずっと同じと言う人はいないはずです。
家や学校、会社、など様々な場面で立場や役割などがちょっとずつ変わるはずです。
ですから、確固たる自分と言う存在があると、思い込んでいると非常に苦しくなるのです。
様々な環境におかれてる自分が今何すべきで、何が出来るか、そしてその中で何か
好きな事が見つけられたらいいですよね。
他の利益に貢献できて、尚且つ自分の喜び(利益)となるのならば
その行為には時間や労苦を惜しむことなく、そして少々見返りが求められなくても、大きくくじけないでしょう。
例え、くじけたとしても、また立ち直ることもできますしね。
種に気付き、周りに感謝して、自他が享受できる、大きな苗(利益)を育てたいものです。