住職の日記

覚者と呼ばれる人は…

覚者と呼ばれる人は…

こんばんは。

今日はいい天気でしたね。

今週はいい天気が続くそうです。

春の新玉ねぎをサラダにしていただきました。

春の玉ねぎは甘くて、サラダにしていただくと本当においしいです。

春は本当においしい物ばかりです。

春を目でも舌でも楽しみ(味わい)ましょう

さて、「受けて立つ」という言葉がありますが、「受けて立つ」とは相手の行動に応じて、こちらが合わせるという事です。

つまり相手の行動を、こちらが認め「全てを受け入れる」という事です。

このブログでも何回も紹介させていただいてますが、あの天才将棋棋士の羽生さんは

言わずとも、とても有名で実績も実力もあるのですが、「羽生戦法」と言うような特に型がないのです。

実力棋士ともなると「○○先生の○○戦法」とか「○○流」というものがあるのですが

羽生さんは特にそういったものはないのです。

では、どんな戦法をとるのかというと、相手の戦法を逃げずに真正面から受け止めて、相手の手に応じて戦うのです。

正に「受けて立つ」という戦法です。

将棋の全てを知り尽くした、羽生さんだからこそ出来る戦法です。

例えば、何かを説明する際に、子供相手に、難しい言葉や漢字を並べて話をしても、それが例えどんなに素晴らしい話でも通じなければ意味がありません。

逆に大人相手に、当たり前すぎる簡単な話では、同じくそれがいい話でも物足りなくなります。

相手をよく見て、一番ふさわしい話をすることが大切なのです。

つまり相手を受け入れるという事です。

自分がこんな話をしたいと思っていても、それが相手に伝わらなかったら何の意味もありません。

物事は相手に伝わって初めて価値が生まれるのですから。

それが「覚者」と呼ばれる人は出来るのです。

つまり羽生さんの戦法は「対機説法」ならぬ「対機戦法」なのです。

相手の戦法、流儀を真っ正面から受けとめ、勝負を挑む。

その姿は疑う余地なく覚者であります。

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