自分を狭い世界に閉じ込めていないだろうか?
地蔵寺の竹やぶで取れた、たけのこで作ったたけのこご飯。
今これに勝る食べ物は中々ないですね。
さて、電車に乗れば、町を歩けばそれはそれはもう見事なまでに皆さんスマホを見ています。
スマホは便利で、もう手放せません。
そして、インターネットの世界は広く、いろんな人と出会うし、面白いですし
最先端の情報を世界中の誰もが瞬時に手にすることはすごい革命で、これから世界がより均等に
グローバルになっていくとも言われています。
それぐらいインターネットと言うのは、我々にあたえる影響は大きいのです。
ただ、「インターネットを自分に取り込んでいる」か「インターネットに自分が取り組まれているか」
似ているような言葉でも意味は全然違ってきます。
我々は今最先端の情報を瞬時に手に入れることは出来るかもしれませんが、便利さ故に
情報を得ることを目的としているのではないでしょうか?
そうなったら本末転倒で、そもそも我々は情報を手に入れる為に生きているのではなく、
自身の方便を円滑に尚且つ向上させるために得るのでは無いでしょうか?
つまり、どんな素晴らしい情報もそれに取り憑かれているようにかじりついていては
毒となるのです。
我々の真実は方便であります。
それを情報を手に入れる事が目的となって行動が鈍ればそれはつまり、命が錆びつくということなのです。
そこで、我々が拠り所としなければならない世界は仏なのです。
仏の世界は広大無辺であるので、もちろんインターネットの世界もその中に網羅されているのですが
インターネットは確かにインパクトはありますが、その世界に存在する「一つの世界」に過ぎません。
その一つの世界に閉じ込めてしまうと、大変勿体無いですよね。
勿体無いとは、命を粗末にしているということで、無意識のうちに殺生をしていることになるのです。
そうならないためにも、仏の世界を拠り所として、真実を見失わない事が大切になるのです。
ネットは我々の生活には欠かせないものです。
しかし、WEBは「クモの巣」という意味で、あまりに依存し過ぎるとその名の通り
クモの毒牙にかかるのです。
そんな狭い世界ばかりに自分の魂を閉じ込めてないで、もっと広い広い広大無辺な虚空の世界に自分の
魂を解き放ちましょう。
善悪、優劣、何もない世界に、本当の自分がいるのですから。
狭い世界に自分を閉じ込めていないだろうか?
無限の広さを持つ世界は別にあり、真実はそこにあるのです。