住職の日記

綿の木頂きました

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近所の方から、綿の木を頂きました。

綿の木は珍しいですが、綿は我々人間には馴染みの深いものであり

なんと約8000年も前から、人に利用されているそうです。

主にペルーやメキシコのなど南米、そしてインドの新旧両大陸で同時に盛んに綿の木の栽培が行われ

西暦が始まる頃にはインドから地中海に広まり、そしてヨーロッパにも伝わって行ったのですが

植物性で有るということだけしか情報が伝わっておらず、ウール(羊毛)に似ていることから

人々は「羊がなる木があるんだ」と思っていたそうです。

正に天然ウールですね。

そう思うと、我々が身に纏う服の一本一本の織られている糸もこうした命の施しを

受けいているのだと思うと、大切に使わして頂かないとなぁと思います。

…ところで、この綿って枝から出てるけど、何なんだろうと思っていたのですが

これは花ではなく、果実が割れた内側の表面に付いている「毛」なのです。

この場合、開花ではなく、開絮(かいじょ)というそうです。

それにしても、不思議ですよねぇ、羊の毛ならわかりますが、大地からこんな実用的な

「毛」が生えるのですから。

…世の中には人知の理解を超えた「不思議」なことがあります。

実はこの不思議とは仏教語であり、言葉で言い表すことのできない御仏の行為

ということであります。

仏様は何の見返りなく、善人であろうと、悪人であろうと、常に命を育む慈悲の眼差しを

我々に向けておられるのです。

「ありがたいですねぇ」と口で言っても、心の中では「なんでそんな得のしないことしてるの?」と

御仏の教えを人に言葉や文字で伝えても、理解されないことがしばしばです。

よくよく見てみると、この世界にはそうした御仏の施しとしか言えないような現象が多々あります。

我々はそれを不思議にもなんとも思いもせず、なんだったら当たり前と思っている事だったりします。

しかし、この世の中に当たり前のものは何も無いのです。

大地から、芽吹く花木、空気、水、空気等などこれら超当たり前に思っている物は

は実はすべて仏様の命の表れなのです。

「空気はとても大事だから透明になっている」と言われるように

空気に色がついていたら、とても息できません。

だって、人の吐いた色のついた空気なんて吸えないですよね。

ですから、空気に色はついてないのです。

こんな、見返りもない供養誰ができます?仏さんぐらいしかいないでしょう。

…だからこうした綿の木が存在するのも、ただ存在しているのではなく

我々を活かしてくれる御仏の命の表れと、言う他無いのです。

だって、他に理由が見つからないのです。

こじつけではなく、理由がわからない、つまり人知の理解を超えた

ありがたいものは、御仏の施しなのですから。

つまり、すべて有り難いと思っていれば、幸せを感じやすくなるということで

そうした生き方が出来ると心が穏やかになり、知らず知らずのうちに自分も仏さんに

なっていくんじゃないでしょうか?

有り難いの反対は当たり前です。

当たり前の中に感謝の心は無いので、幸せを感じにくいですね。

感謝できない生き方は、不幸であると思うのです。

だって、どんな事にも満足できないですからね。

まぁ我々が感謝しようとしまいと、仏さんは我々を生かすために施しをしてくださっているのです。

早めにこの有り難い存在を、気づきたいですね。

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