住職の日記

答えは動きの中にある

答えは動きの中にある

裏庭の蘇鉄の花が咲き出しました。

これが花?と思われるかもしれませんが、これが花です。

そして、この花は最後中から赤い実が出るのです。

不思議な花ですね。

不思議。

本当に世の中には不思議な人がいます。

どうして、そんなに自分を犠牲にしてまでも、人の為に尽くすのか?

「もっと自由になって、自分の好きなことすればいいじゃん」と言っても

「これが好きなことなんです」と一言返されてよしです。

「あっそうなんだぁ」と口ではわかったように言っても、心の中では「変わった人」と

理解はしてないでしょう。

それは、当然です、その人の言っている事は仏語ですから。(フランス語ではないです)

仏様の言葉つまり、真言は不思議なもので、人知の遠く及ばない言葉で

その仏様の言葉を、どんなに訳してもらっても、言葉の意味はわかっても、理解はできないのです。

では、どのようにしたら理解できるのか。

それは、自分自身も仏様の様な穏やかな言葉をつかったりや利他の行動をすることです。

それらを実践して、初めてどんな意味なのか理解できるのです。

何故なら、御仏の命の働きは方便、動きの中にキラリと輝くのです。

つまり、実践しなければ、全然わからないということなのです。

という事で、今日から仏様になりたいからといって、他の為に行動しよう!と意気込んでも

中々続きません。

何故なら、仏に成る為に行動するということは、その行いに、すでに執着が働いているので

施しになりません。

却って、慣れてないことして、イライラして怒り出すので、はっきり言って周りが迷惑なだけなのです。

従って、良い行いだからといって、出来ない事はしないことです。

しかし、だからと言ってしたいことだけするというのも、中々難しいです。

よって、すべき事の中で、出来ること、そしてその中でしたい事が

この縁の世界で生かされている自分の真実なのです。

後は、それを一生懸命こなしていれば良いのです。

したい事、つまり好きなことですから、継続は出来ますし、少々の苦難は避けれはしませんが

超えれますし、見返りがなくてもその行いが目的ですから、イライラしませんからね。

それぞれが、自分の方便に目覚め、それを究境とすれば、不平不満、愚痴、批判、妬みという

無駄は無くなり、美しくなり、この世は尽くし合う浄土と化すのです。

しかし、前提として我々は人間なのです。

人から何か心ない言葉を浴びせられれば、心は傷つきます。

そんな時は休むことです。

自分の方便行は捨てなければ良いのです。

休みながらも、自分のペースで進んで行きましょう。

「真言は不思議なり、観誦(かんじゅ)すれば無明を除く 一字に千里を含む」

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