住職の日記

空とは生きる力

近所の湧き水。

水がふつふつと湧きあがります。

…「空 くう」説かれると我々はどこか虚無感に苛まされ

何やるのも虚しくなりそうになりますが

決して空とは我々の生きる気力を削ぐものではありません。

反対に、このふつふつと湧き上がる水の様に、生きる力が湧き上がってくる教えなのです。

…では、何故この「虚空」が生きる力になるのか?

空とはその字のごとく空っぽであり、この世に存在するありと

あらゆるものは実体が無いということなのです。

それだけ聞くと、そんなのでどこが力が湧き上がるんだ?と思われますが

すべてのものに実体が無いということは、本来善も悪も正しいも誤りも無いという事になるのです。

往々にして人は、「こういう幸せな人生がある」と「有る」と思い込んでいます。

そして、それに当てはまらない、と自分は不幸な人と思い込んでしまいます。

しかし、それは単に何かと比較して、自分の心のなかにそうした識を作っているだけなのです。

そうした何か正解が「有る」と妄執に囚われているとこところに

この空を解く事でその凝り固まった考えが氷解し

心の穏やかさを取り戻せて、生きる力が湧き上がってきます。

…そして、虚無感に苛まされている人に空を説くことで生きる力が湧き上がります。

虚無感に悩んでいる人に空を説いて、余計ひどくなってしまうのではないか?

と思いますが、空は決して何もかも無いというわけではないのです。

じゃあ何があるのかというと「方便」なのです。

方便とは行為とか手段とかという意味ですが、御仏の命の働きという意味もあります。

先ほど申しましたように、空ですからこの世に存在するすべてのものに実体はありません。

実体が無いものにどんなに執着しても、苦しくなるし、真の生きる力も湧き上がりません。

ですから、そうした無い物に執着しても意味が無いのです。

しかし、そんな空の世界にでも方便は必ず残ります。

ではそんな方便は何か?と言うと、見返りを求めない行為であります。

我々の行動動機は大きく分けて2つあり、何かの為、つまり見返りの為の行為です。

そして、もう一つは自分が何かの為にしたいという、自発的で利他的な動機であります。

先ほど、方便とは御仏の命の働きと申しましたように、仏さんは何の見返りもなく

我々に慈悲の眼を向けておられますが

実はそうした仏さんの様な方便は、我々にも備わっているのです。

行動の目的がお金ではない、物ではない、名誉ではない、誰かの幸せの為

そんな方便が備わっているのです。

それに気づいた時に、虚無感を打ち破り燃え盛る炎の様に生きる力が湧き上がるのです。

空とは、この世に絶対の正解があると思い込んで頭がヒートオーバーしている人を

冷却ファンの様に熱を抑え、冷静さを取り戻させ

反対に虚無感に悩み、落ち込んでいる人には、燃え盛る炎の様な生きる力を与えるのです。

…明日は写経会です。

どうぞ、ご参加ください。

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