こんばんは。
もう三月ですね。
なんかわくわくしますね。
さて、突然ですが皆さん手品好きですか?
私は手品が好きなんです。
とくに前田智洋さんのような目の前でやるクローズアップマジックが好きです。
手品と言えば「種」ですよね?
手品ですから当たり前ですが種が存在します。
どんなすごい種なんだろうとお客さんはわくわく興味しんしんで見るわけです。
でも実は手品の種って意外と簡単なものが多いんです。
こんな物で人は驚かせられるのかというものがほとんどと言ってもいいです。
中には全く技術がない素人でもできる簡単な手品もあります。(夢を壊すようで申し訳ないが)
では、その技術のいらない手品を素人の人とプロのベテランマジシャンが同じ簡単な手品をやったら同じになるかというと、それは全然違います。
同じ簡単な手品も全然別物になるんです。
素人の方はマジックの現象を「どうだすごいだろう」驚かせようとしてしまいます。
プロのマジシャンは驚かせるのでなく、目の前にいるお客さんと話したり冗談を言ってその場を楽しませます。
実は手品は種にすばらしさがあるのではなく演者の演技にすばらしさがあるのです。
簡単な手品でその場にいるお客さんを楽しい気分にさせるマジックは本当に奥が深いなと思います。
仏教も一緒です。
仏教の目的は良いことをして悪いことをしない心を作るためです。
ただ、当たり前のことはそのまま伝えてもなかなか人は聞いてくれません。
しかし、当たり前のことは人間にとってとても大切なことなのです。
何もしないとその大切なものを忘れてしまいます。
その当たり前のことがいかに大切か上手に魅力的に伝えるのが僧侶の役目なのです。
ですから、我々が美しい衣を纏うのも、美しい衣で人を「あぁきれいだなぁ」と魅了し目を引かせ布教しやすくする為です。
大檀や護摩壇もそうですね。
秘仏なんてまさにそうですね。
「どんな観音さんなんだろう」と見たいみたいと思っているうちに人の心ができてくるのだと思います。
「種は何だろう」と興味しんしんに見ていてマジシャンの話術に魅了されて知らない間に楽しい時間を過ごしてしまう。
手品師と僧侶は共通するものが多々ある気がします。
極端に言えば魅力のある僧侶だったら石ころ一つでも人の心を作り百万人の参拝者を集めることも可能なわけです。
手品師も僧侶も種よりもそれを扱う側の腕が重要ということですね。
手品も密教も奥が深い。
近所の方から頂いた桜島大根。
とても大きいです。