住職の日記

知るだけでは幸せにならない

知るだけでは幸せにならない

アジサイがきれいな時期はアジサイを楽しみましょう。

さて、我々が幸せになるためには、仏様の教えを実践しなければなりません。

「仏の教え?自分は色々知っているよ」と思われるかもしれませんが、知っているだけでは何の価値もありません。

もっとひどければ、「知っている」という事に慢心しだし、おごり高ぶり、他を見下したりと、散々な結果になってしまいます。

まったく行動も、決断もしないで、知識だけ増えても、この無常の世ですから、どんどん周りは変わっていくので

無常と言う自覚がなくても、自分が取り残されているのに気付きだし、それを周りの人や環境のせいにしだしたり、人を留まらせようと醜態をさらすことになります。

仏の教えに限らず何事も、実際に行動に移せて、初めて理解できるです。

「言うは易く行うは難し」

何を知っていても、実践できなければ無駄、そしてそのおかげで、自尊心が高まれば毒になります。

ここ数日何度も言っていますが、この世は無常なのです。

行動しなかったら自他との間に、当然ズレが生じます。

そのズレによって苦しみが生まれ、周りもその違和感を、しっかりと気付きますので、自然と離れていきます。

つまり、どんなに知っても、行動と比率が合わなかったら、幸せになることも、人を幸せにすることも無理なのです。

何と残酷でしょう…しかし、泣いても叫んでも、逃れる事が出来ません。

無常は、神だろうと仙人だろうと、相手が誰であろうと区別しません。

受け入れるしかないのです。

しかし、これは敗北ではなく我々人間が幸せになるためのステップなのです。

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