住職の日記

矛盾している価値観を…

矛盾している価値観を…

老松に栄養剤を差し込むために、幹にドリルで穴を空けます。

当然木へのダメージはあります。

しかし、栄養剤を差し込まなければ老松は弱ってしまいます。

よって、弱るのを避けるために木にダメージを与えながらも、栄養剤を差し込むのです。

矛盾してますよね。

例えるならば、「焦らず急げ」と言う感じでしょうか。

焦ってはいけないが、急がなければならない、意味は全然違いますがどちらも大切ですよね。

焦ると余計な緊張を産み、正しい判断がしにくくなります。

しかし、落ち着きすぎてのんびりし過ぎるのも、判断を鈍らせます。

よって、この矛盾する2つの価値観を如何程で合わせるかが、大切になるのです。

そして、厄介な事にそれは線と線で合わせて真ん中が正しいというわけではなく

その人、その状況などによるので、一番フィットする場所というのは皆それぞれなのです。

これを仏教では「中道」と言います。

今仕事をしていく上で好きなことをすることが大切な時代です。

しかし、それが「どれだけの人に理解されるか」も重要になるのです。

コアなファンを集めたいのならよりこだわったほうが良いですし

一人でも多くの人の理解を得たいのなら、妥協をしてより分かりやすく工夫することが重要になるのです。

ただし、その場合人によっては自分自身でやっていて物足りなさを感じるかもしれませんが。

従って自分がどの辺で線引をすることが、一番穏やかに楽しめる事が出来るかを自分で見つける事が

大切になるのです。

片や「好きなことをしろ」片や「求められている事をしろ」という矛盾する価値観を

どちらがどこまで、幅を聞かせるかその交わる場所こそが、我々が無意識のうちに目指す

世界なのでしょう。

どんなに人のために役立つことでも、それがあんまり好きでなければ、続けられません。

それがただ今まで続いてきたという理由だけで、尚且つ人の役に立ってなければ

即刻やめるべきです。

いずれにせよ、いかに自身を俯瞰的に捉えられるのか?がポイントになります。

自分を過小評価せず、過大評価せず、適正な見方ですね。

俯瞰的に見るという事は、謙虚さが大切になります。

人間の限界、全体の中に存在する一部に過ぎないという自覚は畏敬の念から「しか」生まれないと

言っても過言でもないでしょう。

日本は自然が豊かでありますが、言い換えれば自然災害が多い国でもあるのです。

こうした自然災害に直面すれば、「俺だ」「私だ」と言っていた確固たる存在は微々たるものであると

嫌でも学ばされるでしょう。

そうならない為にも、日々神仏に祈りを捧げ生活を送ることにより

自身の上に圧倒的な存在を置くことにより、謙虚さが身につき、常に時代に合わせようとする姿勢が生まれ

豊かに生きていけるのです。

それを怠り、少しでも我というものを中心に考えだしたならば、直ぐにではないですが

間違いなく、不穏の世界に向かっていくのです。

従って、この「我」というものは非常に扱いには気をつけなければなりません。

ですから、どんなに豊かになって、自分の好きなことがしやすくなった時代だからと言っても

こうした謙虚さと冷静な状況判断は出来なければまずいということですね。

真理はどんな時代でも変わらない絶対的なものです。

逆に言えばそれを自覚し、意識していれば豊かに生きていけるとも言えますね。

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