住職の日記

皆が与えられたことを全うすると

皆が与えられたことを全うすると…

沈丁花の蕾が膨らんできました。

沈丁花は線香の様な良い香りを漂わせ、人を楽しませます。

さて、こうして自然に目を向けるとそれぞれがそれぞれに与えられた命を

懸命に全うしているなぁと感じます。

桜は桜、あじさいはあじさい、そして桜と言っても四季桜や寒緋桜などいろいろありますが

それぞれに個性があり、それぞれがそれぞれの方法で他のために尽くすのです。

それは我々もそうでなければなりません。

グチグチ悩んでいる前に「できる事」「すべき事」を探し、その中で「これだ」と言うものを見つけ

それを全うすることが理想です。

それが、何かは知りません。

しかし、「これだ!」と言うものを究境とすることにより、虚空の世界に浮かぶ美しい花のようになるのです。

命は即ち方便であり、それは我々の真実です。

方便が錆びつく理由の一つに、「出来ないこと」をしようとすることにあります。

そんなことは誰も望んでいないのに、妄執に囚われ、または他と比べ、自分を卑下し、止まる。

謙虚を履き違えるとそうなります。

真の謙虚は自分のできる事を精一杯行うことなのです。

「どうせ自分には無理」「私なんかには無理」と言うのは、ある意味傲慢なのです。

野に咲く花と美しい豪華絢爛な桜はそれぞれに良さがあり、それぞれが謙虚で尊いのです。

感動させる役割が違うのです。

従って、「自分なんか…」と卑下し自分のすべき事すら放棄する人は「ある意味」

小さい花を見下しているのです。

だってそうでしょ?命は平等に与えられているのです。

咲くほど言いましたように、命は「方便」です。

方便が無い人はいないのです。

従って、「そんな事と…」どこかで見下しているのです。

そうじゃないと言っても、実際そうなんです。

また、傲慢な人は動くものを妬むので、周りは大変です。

まぁこの世は尽くし合う世の中ですから、自然淘汰されていくことでしょう。

咲く花の大きさや柄や形は、それぞれの器にかかりますが

どうであれ、行動することに意味があり、それぞれが尊いのです。

皆がそれを実践すれば、この世は様々な種類の花に囲まれた浄土になるのです。

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