住職の日記

発露

発露

ケヤキの木も紅葉してきました。

空に黄金色に輝いて綺麗です。

さて、「感謝ができる生き方が幸せ」と言いますが、その感謝の心は一体どこから来るかと

申しますと、懺悔(さんげ)の心から来るのです。

「何も悪い事してないのに何故に悔い改めないといけないのか?」

「私は誰にも迷惑かけてないし、自分でいうのは何だけど真っ当だよ?」

と思いになる方も居られると思いますが、ではなぜあなたは今生きていられるのでしょう?

それは、何かの命の犠牲に成り立っているのです。

我々は知らず知らずの内に多くの迷惑をかけているのです。

「そんな……嫌だ」と思いになられることでしょう。

自分の存在が誰かの迷惑になっているなんて、心苦しいですよね?

ですが、その自覚が仏への道の第一歩となるのです。

その懺悔の念があるからこそ、何事もありがたく感じれるのです。

つまり懺悔と感謝はワンセットなのです。

「でも、そんな毎日自分が悪いと、責めるなんてネガティブに毎日を過ごしたくないよ」

そう思いになられる方もいるでしょう、ですがそれは紛れもない事実なのです。

それで、もしその事実を覆い隠し、知らんぷりんして生きて行けばどうなるか?

どんな形かはそれぞれだと思いますが、いずれ不具合が生じて災難に見舞われる事は避けられません。

それは何故かと言うと、その状態は無明だからです。

妄想に囚われて、正しく物事が見れてない状態です。

起きているのに、目は覚めてない状態だから、殆ど居眠り運転の様な危険な状態です。

居眠り運転をずーっとしていればいずれ事故に遭うのは、当然ですよね?

従って、心の膿をしっかりとだし、大事に至る前に常に清掃をしておくことです。

では、如何にして心の膿を外に出すのかと言うと、仏様の前で発露(ほつろ)をする事です。

発露とは自身の心を外に現し出すという事です。

妄執による数々の愚かな行動により、知らず知らずに内に他の存在に迷惑を掛けたことを

しっかりと報告し悔い改めるのです。

そうすることにより、自分の愚かさを自覚し、何事にも感謝でき、そして人を許せるのです。

よく「病気になったことのない人とは付き合うな」と言います。

「自分は何も悪い事してない、何も迷惑かけてない」と全く自分に非が無いと思っている人は

先程の様な無明の世界にどっぷりと使っています。

そういう人は、冒頭でもお話しましたが、何事も感謝できないし、もっともっとと欲は深くなるばかりです。

そして、自分が悪いという自覚がありませんから、何か起きたら全て人や周りのせいにしだします。

世の中様々な病がありますけど、真実に目覚めない事こそ、最大の病なのです。

その病にかかりたくなければ、仏様の前で、勇気がいりますが発露をし

自身を省みる事です。

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