田んぼ(心)を耕しましょう
地蔵寺の周りの風景。
青々とした田が良いですねぇ。
こうした当たり前の様に眺める田の存在意義は大きく、ダム代わりになり洪水を防ぎ
また、気温の上昇を下げる役割も有ります。
こうした、田が存在するから、様々な生き物の卵が流れずに、生物が繁殖できるのです。
人が存在したから、これだけの生物が存在しているのだとも言われています。
人は「自然破壊をしてきた」と一方的に言われることがありますが、こうして貢献している部分もあるのです。
仏教に「三福田」という言葉があるのですが、この三福田とは「敬田」「恩田」「悲田」であります。
この三田を大切にすると、この田の様に一つの種から何倍もの稲が収穫できるように幸せになると言われています。
まず、「敬田 きょうでん」でありますが、「敬う」とは何を指すのか?ですが、それは言うまでもなく
「仏法僧」であります。
「仏」とは仏様、法とはその「仏様の教え」、僧とは「その教えを守り実践する人々」であります。
この3つを敬うことが大切であるということです。
仏様とは、この世の真理を悟った方であり、それを体現をされた方であります。
つまり、この世を穏やかに生きていく方法を表してくれた、我々の大先達であります。
その方の教えを守り、その教えを実践する人々を敬う事が、幸せに繋がっていくのは当然の事ですね。
そして、これらには所謂「景気」とか「ブーム」といったものがなく、安定しています。
拠り所とするには絶対的な存在であります。
そして、次の「恩田 おんでん」でありますが、我々は数え切らないほどの「支え」によって今の命が
成り立っています。
ご先祖様、両親、祖父祖母、兄弟、地域の方々・・などなど、人だけでも本当に多くの方の手によって、
我々の生活が成り立っています。
そして、我々の命が成り立っているのは、たくさんの命の犠牲が存在しているのです。
それらの、存在に感謝をしなければならないのです。
感謝しなければならないということは、懺悔の念を持つということです。
人は誰だって迷惑掛けたくないと思いますが、迷惑かけない人は存在しないのです。
従って、その事実を受け止め、懺悔して、感謝をしなければならないのです。
その謙虚な心が、幸せに繋がっていくのです。
そして、最後の「悲田 ひでん」でありますが、困っている人に施しをすることであります。
御仏の「慈悲」の「悲」はその字の通り「悲しい」のですが何故人は悲しくなるのでしょう?
悲しくなるのでしょうというか、どんな時に悲しくなるのか?
例えば、悲しみの代表といえば人との別れ(死)でありますが、新聞に出てくるお悔やみ欄を読んで
全然知らない人が亡くなっても、悲しくはありませんが、自分の知り合い、ましてや家族や愛する人だったら
悲しくなるのです。
悲しみは「自分」に関係してくるものから、こみ上げてくるのです。
つまり「慈悲」とは、相手の起きている出来事を、まるで自分の事のように思うことが大切であるということなのです。
そして、次に相手の立場に立って言葉や行動を取る(慈しむ)ことが大切になるのです。
まぁ平たく言うと、思いやるということですね。
この三福田の教えを守れば、栄えないわけが無いのです。
しかし、田んぼは定期的に耕さなければなりません。それは、我々の心も同じくであります。
従って普段の勤行が大切になるのです。
皆さんも恐らく持っているであろう、勤行次第は大変よく出来ていまして、この三福田の教えが
そのまんま書かれていると言っても過言でありません。
日々祈りを捧げて心を耕し、良い土壌を保ち、福徳の穂を実らせましょう。