生きる力とは…
オニヤンマがもういました。
このオニヤンマ凶暴なスズメバチも捕食する事もあるそうで、姿通り強いです。
さて、我々の住む世界は、こうした強いものが弱いものを捕食する弱肉強食の世界でもあるのです。
資本主義の世界では資本が多いところが一等強く、有利であるという単純明快な理屈ですね。
そして日本はその経済大国でもあります。
しかし、日本は経済大国と言いますが、物質的に豊かになったかと思えばその反面自死者が
10年以上も3万人を超える影も生んでいるのです。
それはどうしてか?私なりの考えですが、罪の意識であります。
経済大国と言いますが、よくよく見てみれば、諸外国で安い人件費で雇い、安くたくさん輸入し
それによって我々は安く物が豊富に買えるという事なんです。
つまり、弱肉強食の資本主義社会のシステムに我々は知らず知らずのうちに加担しているのです。
中には我々の目に触れないだけで、大変過酷な事を強いられている人もいるでしょう。
そうした方々への感謝(懺悔)の念がすっぽりと抜けている事が問題なのです。
その結果、物に対する感謝の念が薄れ、雑に扱い、ついでに人の命まで雑に扱う有様です。
経済大国だ俺たちはすごいんだと、狂乱の時代の味わった我々はその成功体験から抜け切らないのか
そして、まだ「経済再生」と提唱し前の時代(バブル)に戻ろうとしています。
物質的な豊かさだけでは生きる力にならないのは、もう証明されたと思うのですが。
そこで、大切になるのが「懺悔の心」のなのです。
そうした、多くの人の労苦があり自分たちの生活が成り立っているんだという懺悔の念なのです。
資本主義の世界の恩恵を受けている我々は強く思わなければなりません。
生きる力は夢だ希望だと言いますが(それも大切ですが)、まずそれよりも滅罪の為に生きるという事が
大切になるのです。
「我々の命は多くの命の犠牲に成り立っている」
「こうした物質的な豊かな生活はそうした方々の労苦で成り立っている」
という事実を受け止め、その労苦を無駄にしないために我々は生きていかなければならないのです。
懺悔というと「マイナス」とか「興醒めする」と捉える人がいるかもしれませんがその逆で
生きる力が湧いていくるのです。
そうした謙虚な心があれば、「生きる」ではなく自分は「生かされている」という事に気づくのです。
そうなれば日々感謝せざるを得ないですし、人を許す事ができ争いごとはなくなるのです。
それはつまり、真の幸せにたどり着いたと言っていいでしょう。
罪を滅ぼす事こそ、生きる力なのです。