住職の日記

甘みを感じにくい時代

犬の散歩中

ホトケノザを発見。

仏さんが乗っている蓮台に似ていることからそう言われるそうになったそうです。

天然ジュースです。

昔これを吸って楽しみました。

…今でこそ「甘い」という味覚の物は容易に手に入る様になりましたが

昔は「甘い」という味覚のものは大変貴重で手に入りにくかったそうです。

ですから、今はその甘みを得ようとすれば簡単に手に入るので幸せな時代なんですが

それでも不足を感じる我々は、もっと足るを知らないといけないですね。

すでに特に日本に生まれた我々は、もちろん諸問題ありますけど、それでも

相当恵まれているのです。

…ですが、満たされない。

その理由は欲望です。

欲望は満たされていけば、満たされていくほど広がっていき、果てがありません。

ですから、不足を感じ、心が穏やかにならなくなり、不幸になるのです。

…ですが、この煩悩はどの時代でもついて回り、これを無くすという解決策は

得策と思えません。

ですから、こんな時代だからこそ菩提心(悟りを求める心)が必要になるのです。

何故なら、それがあれば必要以上に物欲にかられることは無くなるからです。

つまり、自分の道に必要な分だけのお金、ものがあれば事足りて、満足するからです。

物やお金の為に生きるとなると、それはどれだけ?という際限が無くなりますから

幸福は感じにくくなるのです。

だって、お金持ちの定義は曖昧です。

「あの人はあんなけもらっている」「だから自分は不幸だ」という生き方は穏やかでありませんよね。

ですから、菩提心が必要になるのです。

それがあれば、そうした不毛な考えにかられず、自分の基準で幸せを作られるのです。

物が溢れ、情報が溢れ、物質的に豊かな時代だからこそ、そうした心を持たなければ

溺れてしまい、せっかくの豊かな時代に生まれたのに勿体無いです。

反対に、物や情報は得やすい時代なので、自身の道を志しやすい時代なのかもしれません。

我々は物を得る、お金を得る為に、生まれたのではなく、誰かを幸せにするために生まれてきたのです。

その使命が生まれてくる際に、誰もが御仏に授けられているのです。

その道を志す為に必要な物やお金を揃えば足りるのです。

その使命に気付けなければ、いつになっても足りません。

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