住職の日記

理屈抜きだ

理屈抜きだ

新米×大根の葉の菜飯。

もう最高です。

新米だけで美味しいのに、さらに季節の大根の葉をまぶすことにより美味しさ倍増です。

何気なく普段頂いているごはんと、何なら捨ててしまっている大根の葉を掛け合わせる事により

こんなに美味しい物が出来上がります。

ただ、体重には気を付けたいところです。

さて、誰に対しても優しく、自分の事をほったらかしてまで人の為に尽くす人に出会うと

本当に不思議に思います。

その人に「どうしてそんなにしてまでするのですか?」と問いただして

「…自分がそうしたいからかな?」と答えられたとします。

これで、あなただったら理解できますか?

おそらくできませんよね。

「そうなんですか」と口では言っても、心の中では「何この人、意味わからない」と

思っていることでしょう。

そしてさらに分かり易く「人の為に尽くすことで、自分が幸せになるんだ」と説いてもらっても

「あぁそうか」と納得するかもしれませんが、それだけでは理解したことになりません。

我々は特に仕事をする上では、常に対価という物を考えねばなりません。

損得勘定は時として悪く言われますが、全然そんなことなく大切な価値観であります。

ただ、その世界だけにどっぷりと使ってしまえば先程の、問いに対しての答えは一生理解できないのでしょう。

それは、先程の言葉は実は、日本語ではなく仏(ほとけ)語なのです。

仏さんの言葉ですから、凡夫では理解できないのは当然なのです。

しかし、人の為に尽力する人は魅力が無いわけがありません。

逆に打算で動く人は、ある意味分かり易いですが、それまでです。

出家者、在家者関係なく愛され読まれ続けている「般若心経」。

しかし、このうちどれだけの人が般若心経の意味を知っているのでしょうか?

おそらく、ほとんどの人が知らないはずです。

しかし、ほとんどの人が知らないのにこれだけの人を

これだけ長く人を魅了しているのは

その般若心経は実は真言で、仏様の言葉なのです。

弘法大師空海様は「真言は不思議なり、観誦(かんじゅ)すれば無明を除く 一字に千里を含む

と仰られています。

その真言一字一字に千万無量の功徳が隠されているのです。

ですから、多くの人を意味は分からなくても魅了し、その真言を一心に唱え、我々は仏の世界に辿り着くのです。

勿論お経の意味を学ぶ事も大切です。

しかし、学んだからと言って、本当の意味が分かったと言う事ではないのです。

従って、仏様の言葉の意味を本当に知りたいのなら、まずは実際に唱える事です、または書き写す事です。

そして、人の為に尽くす人の言葉を理解したいのなら、実際に自分も他人の為に尽くす事です。

資本主義は損得勘定ですが、仏の世界は理屈抜きです。

人を救うのにそこに理屈はないのです。

何を理想言ってんだと思うかもしれませんが、忘れないで欲しいのは

資本主義なのは我々人間の世界だけの話であって、この世はあくまでも仏の世界なのです。

その真理に背向くことを過ぎると、不具合が生じ災難に見舞われるのです。

言語を学んでも、学問を学んでも、仏の言葉、行動は理解できません。

唯一理解する方法は実際に自分も仏の言葉、行動をとる事です。

方便にこそ御仏の秘密の働きがあるのです。

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