住職の日記

無駄も大切

無駄も大切

お勝手口の近くにハチが巣作りをしていました。

よく見ると捕まえた青虫を一生懸命巣の中に押し込んでいました。

これから、蜂にとっては大事な時期ですね。

みなさんも、くれぐれも気を付けてくださいね。

さて、みなさんもご存知の通り、蜂の世界は嬢王蜂を中心に統制され

それぞれが、嬢王蜂をはじめ子孫繁栄のために働き、無駄な行動はしません。

まぁこれは蜂に限らず生き物全般に言えますが。

…無駄な行動をせずにすべきことをしてするって一見すごいですが

じゃぁ我々人がそれをしようとしたら、間違いなく壊れますよね。

反対に、その「無駄な事」とされているものを、特にこれからの時代

どのように向き合うかによって、未来は変わるように思います。

「煩悩は捨てろ」というのが一般的な常識ですが、そうして無駄とされ

捨てられた煩悩はどうなるのでしょうか?

仏の世界で言えば、煩悩も一般的に良いとされている善行も、両方とも善悪存在しているのです。

善行も、名誉や得しようなどの見返りを求めたものであれば、時に毒となるのです。

というように、これがよくて、これが悪いとされているものは、我々人社会が作った道徳から

来ているものなのです。

そして、この道徳はころころ時代によって変わります。

昔は、仕事をしていくうえで「ごちゃごちゃ考えず言われたことをしろ」

というものが、今では「実力勝負です、考えて動きなさい」と転換しています。

じゃあ、昔の社会道徳は何だったの?ということですよね。

そんな感じに、コロコロ変わるので、一応社会にいる以上は、守らなければなりませんが

拠り所とするには、不安定すぎます。

そんな具合に、物やサービスが行き届いたこの時代はそのごちゃごちゃ無駄なことを

「真剣に」考えることが大切になると思うのです。

一見無駄とされていた行いも、誰かを思い行うことで、それが価値となるそんな時代なのです。

反対に、昔はそれで良いとされた行いも、今は因習という存在になっているかもしれません。

したがって、我々は、仏の価値観を第一に拠り所としなければならないのです。

そして、その中でも善悪とらわれず、紛れる草も全て抱えて、「渡れる」密教の価値観が

この、物質的に豊かな日本に必要なのかもしれません。

「モノ」が溢れているなら、捨てるという発想が簡単に出てきそうですが

それを、なんとか活かして、誰かに取っては不要なものでも、誰かにとっては何万円出しても

欲しいモノかもしれないのです。

狭いから、広いから、大きいから、小さいから、「ダメ」とすぐに切り捨てる前に

狭いからできること、広いからできることがあるはずです。

○○だからダメと、無駄と道徳に囚われ切り捨てず、視点を変え、命を見つけだしましょう。

善悪とらわれない仏の心を持つことが、それぞれ命が活かされる

真の豊かな世界にたどり着くためには、大切なんですね。

無駄な事が出来るのは、人間の特権です。

話は変わりますが、「アリとキリギリス」というお伽話では、最後アリは

キリギリスを追い返しますが、もし仏の心があれば、自分(アリ)たちの

仕事を癒やす、歌や踊りを踊ってくれる、そんな命(キリギリス)が活かされていて

そして、自分たちの作業効率もアップしたはずです。

もちろん、アリやハチの働きぶりは学ぶところもありますが

我々人は、宗教心を拠り所とし、全てを活かさなければならない責務があるのです。

それが、我々に人類に託した仏様のミッションであります。

そんなこと正にミッション・インポッシブルかもしれませんが

人から見たら、「そんな無駄なこと」と切り捨てるかも知れませんが

それを今もそれ信じ、高野の山奥で約1200年以上も修行続けておられる方もいるのです。

すべきことという道徳は時代とともに変わるので、永遠不変の仏の教えを拠り所としたいですね。

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