住職の日記

無欲で楽しむ

無欲で楽しむ

こんにちは。

今日もいい天気です。

こんな日はドライブなんかいいですね。

ですが、夕方になると冷えてきますので、体調崩さないように気をつけてくださいね。

さて、何かを継続させる為には、何が必要か?

根性?体力?気力?

そのいずれでもありません。

楽しむことです。

どんな事も楽しむ人には、かないません。

そして、目的を持たないことです。

しいて言うなら、続ける事を目的にすることです。

この行為をしたら、何が得られるのか?

と見返りを持って取り組んでいるうちは、まだまだです。

だいたい目的を持つと、何事もつまらなくなります。

自他ともにです。

例えばあなたが久々に友達と食事に行ったとします。

久しぶりに会った友達ですから、色々話す事も有るでしょう。

ですが、そこで友達から、「今度さぁうちの新しい商品出たからさぁ、買わない?」と言われたとします。

どうですか?

この友人は明らかに買わせるという目的がありますでしょう。

その場が冷めてしまいますよね。

友達同士なんだから、損得なしですよね。

何、見返りを求めてるの?って感じです。

例えば仏道を極めようとします。

その目的は?との問いに、仏さんになる為と言っているうちは、きっかけとしてはいいですが、まだ悟りは開けません。

何故なら見返りを求めているからです。

執着が働いているので、とてもじゃない
けど仏さんとは言えません。

仏さんはただ単に私達を慈しみの眼で見ておられます。

何も求めずにです。

どんな時でもただ単に見続けておられるのです。

例え愚かな人間が仏像を引っ張り出し、
火の中に投げ入れたとしても

仏様は火炎の中でも灰になるまで、ただ単に慈しみの眼で見ておられます。

それが、悟りの境地なのです。

ですので、本当に仏様になりたいのなら、見返りを求めず、善行を勤める事が必要となります。

では、いつまで?どのくらい?

それは、言うまでなく、死ぬまでです。

生涯をかけて、善行に勤める姿は、疑う余地なく、仏様なのです。

ですので、無欲で楽しむ事が大切です。

楽しめなければ、継続は難しいですからね。

ただし悟りの境地に行きたければ、火炎の中でも、楽しみ続ける覚悟が必要です。

ちょっとやそっとの困難でへこたれているようでは、境地は遠いと言えましょう。

無欲で望み、生涯をかけて自分の道を楽しんでしまいましょう。

桜の葉もあと少し。

もうすぐ11月も終了です。

一年早いなぁ。

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