半月。
我々は月が満ちる、欠けると表現するが
これは太陽の光が当たらない部分が光らないだけで
月自体は常に満ちていて、増えることも減ることもありません。
我々は、自分自身に何か災難が起きると、自分は神や仏に見放されたと思い込みますが
御仏の慈悲の光は、昼夜問わず、身分問わず、如何なる時も降り注いでいるのです。
つまり、その光を遮っているのは我々の識がそうさせているのです。
…しかし、実際に苦難に遭い、今そこで御仏を感じることができなければ
一念に極楽を思い描くのです。
そうして、心の中で極楽を念じ続ければ、今すぐにではなくとも、無常の理に従い
しだいに雲が晴れ、御仏の光が再び差し込むのです。
ですから、もうダメなどと、決めつけることはなく、諦めずに今できる行いをして
御仏の光を享受する努力をしましょう。