住職の日記

浄土はこの世に出現できる 葬式は人生で最高の幸せの瞬間

こんにちは。

今日はいい天気ですね。

動くと少し暑く、日影はさらさらと涼しいとてもいい気侯です。

さて、みなさんが亡くなった後に行く浄土(仏様の世界)は亡くなった後にしか拝めないと思っていませんか?

それは違います。

浄土とはこの世で拝むことができるのです。

あぁ心で感じるということだね、と思われた方それは違います。

この目で見れるのです。

じゃあいつ浄土を見れるのか?それは葬式です。(もちろん例外はありますが)

葬式で浄土の出現が可能なわけです。

私のおじいさんが二年前の五月に亡くなりました。

私は早くに父親を亡くしましたので、おじいさんは師匠でありおじいさんであり父親でもありました。

その大変世話になったおじいさんを、同じく昔からお世話になったお坊さんにお経を読んでもらい、檀信徒の方々御近所の方々などたくさんの方々にご焼香に来ていただきました。

きっとおじいさんも喜んでいると思いますが、当人よりも遺弟の私がとても幸福に思いました。

自分が世話になったおじいさんをたくさんの方々に送り出していただいたことは、おそらく私の人生で一番幸せの瞬間だと思います。

葬式は勿論当人の為に行っているわけですが、むしろ残された遺族の為に行っているのだと実際行ってみて思いました。

葬式は悲しいものですが同時に人生で最高に幸せになる瞬間でもあります。

お世話になったお坊さんにお葬式を行っていただき、お世話になった檀信徒の方々ご焼香に来ていただいてと、ここでお世話になったというのが重要です。

深い関係性がなければおそらくここまで幸せには思わなかったでしょう。

先程も申しました通りおじいさんは師匠でもあり父親の代わりでもありました、つまり普通の孫とおじいさんの関係よりも深い関係です。

お坊さんも参列者の方々も昔からお世話になった方々です、つまり関係性の深い方々に自分が世話になった祖父、祖母、親のお葬式に来ていただく事が人生最高の瞬間であり、その様子がまさに浄土そのものであります。

恐らくこれからどんなに楽しいことがあっても、嬉しいことがあっても、おいしいものを食べてもあの時の幸福には到底かなわないものでしょう。

物質的の喜びはその一瞬だけです。

今は自由で豊かな時代です、昔に比べて物はあるし、うるさく言う人もほとんどいなくなりました。

自由だからこそ自己責任の時代です。

誰かが何かをしてくれる時代ではありません。

いきなり葬式当日に関係性の深いお坊さんが現れるわけではないし、参列者がいるわけでもありません。

普段からの関係性がとても大切ということです。

皆さんもせっかく人間に生まれたのだから、ぜひこの世で浄土を見てください。

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葬式を行った客殿からの眺め、ちょうど葬式の当日も写真のような天気のいい日でした。

境内の新緑が風で揺れてサワサワと心地良い音が聞こえ、境内の木々もおじいさんを送り出してくれたような気がしました。

正に浄土の出現としかいいようがない瞬間でした。

心の目で見るという抽象的な言葉では片付けられませんでした。

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