住職の日記

求道心が不安を超えた瞬間…

求道心が不安を超えた瞬間…

今日は暖かいので紅梅の花が一気に開きだしました。

常緑の庭に淡い桃色の花が映えます。

さて、誰にも不安はあります。

無い人はいません。

従ってそれを乗り越える事が大切になるのですが、昨日の話にも似ていますが

不安だけを取り除くことに躍起になっていても、あまりよくありません。

どんな不安も取り除けば、また何かが不安になり、その繰り返しになります。

それはどうしてか?

一言で言うと自分や何かに対しての執着が働いているからです。

それがあることによって、不安は生じ続け、そのままでは不安から逃れる事は一生無いでしょう。

では、如何にして不安を乗り越えるのか、それは不安以上に自身を奮い立たせる目標です。

それを持った瞬間、または目指した瞬間不安は例えるならば、焼き尽くされるのです。

ですが、それが自分の為の物であったら、不安が取り除かれるどころか、もっと大きな不安を

招く事になり、悩みが変わるだけで、また悩みは膨らむばかりで解決はしません。

従って、他のための何かの行動でなければ、不安を取り除くことは難しいのです。

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燃え盛る護摩の炎。

これは仏様の智慧の火、智火と言います。

護摩木は人間の煩悩を表しております。

つまり、炎は菩提心、求道していく心を表していて

その智火で煩悩を焼き尽くすことによって穏やかな心が得られるのです。

そこで、どんな道でも他人の為、他の役に立ってなければ継続は難しいので

いかなる時も他の為にということは念頭になければいけませんね。

求道心が不安を超えた瞬間、不安の無い穏やかな世界が広がるのです。

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