住職の日記

正しく喜び 正しく嘆きましょう

正しく喜び 正しく嘆きましょう

ウケザキオオヤマレンゲが咲いています。

このように花が上に向いて咲くから受咲大山蓮華と言います。

さて、こうした美しい花も時が来たら…。

こうなります。

これが無常の世の相(すがた)であり、この事実からは何人も逃れる事が出来ません。

仏教を開かれたお釈迦様も太子の頃、生老病死に悩む人々を目の当たりにして

出家される決意をなされたのです。

その後、無常の世での生き方を追求し、試行錯誤の上、仏陀となられたのです。

つまり仏教は方法、仏(幸せ)になるための「方法」なのです。

この教えに出会わなければ、本当の喜びや嘆きを感じることは出来ないのです。

「喜び」はまだしも、「正しく嘆く事」も出来ないなんて、惨めであることこの上なしですね。

では本当の喜びと嘆きに出会うためには、先ほど申しました様にお釈迦様の足跡を辿ることです。

つまり、無常を自覚することが何よりも大切なのです。

全ては、砂の様にさらさらと崩れていく幻想に近い存在で、それは自分とて例外でありません。

「そんな世界虚しい」と虚無感に押しつぶされそうになりますが

「失うは得る」と同意異義語でありまして、そこに何が見えるのか?

自分はそんな虚空の世界で何が出来るのか?

その真実を悟ることが大切になるのです。

そうすれば、道は明るくなったと言えましょう。

無常の世で唯一変わらないのは「真実」であります。

そして、その自身の真実にたどり着いたならば、道を照らしてくれる

灯明となるのです。

時代は変われば、人は変わり、状況が変われば、事情も変わります。

しかし、2,500年前であっても、平成のこの世でも、そして1,000年後も

真実は何一つ変わらないのです。

従って、無常を自覚し、自分に付いているものをすべて剥いでいくと、何が見えてくるのか?

それが真実で、それに基づいた行動から得られる幸福こそ、真の喜びであり

その事に於いて、行き詰まる出来事に出会ったことこそ、真の嘆きなのです。

無常を自覚し、正しく喜び、悩みましょう。

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