欲がなければ…
つくしの卵とじ。
春らしい食べ物です。
さて、我々に災いをもたらす煩悩。
それらがある事により「貧・瞋・痴」の三毒を生み、争い事が起きたり、悲劇を招くのです。
では、その煩悩を捨ててしまえばいい、無くす努力をするという考えに到ると思いますが
それは、大変理屈の通る話で結構なのですが、それ実現できますか?って事なんですよ。
だっておなか減りませんか?眠くないですか?
それら当たり前のことでさえ、ある意味欲望なのです。
ですから、人間が生きて行く以上煩悩だけを剥がすことなんてできないのです。
従って、視点を変えその煩悩とどのようにして付き合っていけばいいのか?という事が
非常にスマートで効率がいいと思うのです。
よってその煩悩(エネルギー)にどんな根(因)を張らせ、どこへ向かうかが非常に大切になっていくのです。
この煩悩の活用が利己的な物であれば、ガス欠はもちろんこと、暴発もありえるでしょう。
利己的な行動と言うのは、周りは中々賛同してもらえませんからね。
ですが、それが皆が喜ぶことだったり、世の中の人にお役に立ちたいという動機が
煩悩と結びついていたら、どうでしょう?
多くの人が、幸せになり、それによって自身も心の充足が得られるのです。
また逆にいえば、その欲がなければ人々を幸せになんかできないでしょう。
「こうすればいい」「ああすればいい」と理屈だけ並べても、どうやってもその事を実現させるぞ
という欲が無ければ、そんな思いは無いと一緒です。
勿論、欲は災いをもたらすものなので、気を付けなければいけませんが
それが無いと、何事も机上の空論で終わってしまうのです。
忘れてならないのは、この世に善も悪もないという事なのです。
裏を返せば善い事も悪い事もそれぞれ必ずあるという事なんです。
視点を変えれば影が見え、また視点を変えれば光が覗く、私たちがいる世界はそんな世界なのです。
ですから、影ばかり追いかけてないで、影を把握し光の部分を享受しましょう。