機能美 造形美
指物屋さんに頼んで、客殿に銅網を張った、網戸を付けて頂きました。
当山では客殿に弘法様を祀っているのですが、弘法様の霊場に入っているので
客殿を開放しとかなければいけないのですが、ただ防犯や、ツバメや猫などの侵入に悩まされていて
何とかしなければなぁと思っていました。
どうですか?私が言うのはなんですが、とても品もよく素晴らしいでしょう?
そして、ちゃんと留め金で止めてあって、外からは開けられないのです。
弘法様もよく拝めて、防犯機能もある、造形美、機能美共に優れています。
ちゃんと取っ手が付いていて、一人でも取り外し可能です。
機能美をとれば造形美は損なわれ、造形美を突き詰めれば、機能美を失う。
ですから、「物」はその2つのいずれかを捨て切ってはダメですね。
ソフトバンク社長の孫正義さんが、iPhoneを初めて見た時
「Appleが作るのは芸術品、日本メーカーは工業製品を作る」とおっしゃられたそうです。
今やiPhoneは単なる電化製品ではなく、上手く表せませんが、人間のパートナーの
役割を果てしているように思うのです。
美しく、機能もサクサク使いやすい。
機能が多いことはいいことですが、多すぎることもまた、問題です。
…そう思うと、注目すべきは密教でしょうね。
密教に関する物こそ、造形美、機能美兼ね揃えていて、無駄なく磨かれた
密教建築や法具、曼荼羅は、間違いなく日本の芸術というものに影響を与え
文化水準を上げたと思うのです。
こう言っちゃなんですが、平安時代は華やかな帰属の時代というイメージが有りますが
飢饉や災害も起こるなど、大変厳しい時代でもあったのです。
そんな時代に、こうした「美意識」も持ち合わせていた弘法様の
心の広さを感じさせられます。
「美意識は余裕があるから生まれる」とは「お金がたくさんある」思われがちですが
果たしてそうでしょうか?
お金があっても醜い生き方する人はたくさんいますし、お金がなくても美しい生き方をされる人も
たくさんいます。
だから大切なのは、心の余裕(広さ)ということでしょうね。
つまり、造形美か?機能美?というように、どちらか極端にとらわれない心
中道の精神が必要となるのでしょう。
どちらにもとらわれない、偏らないということは、どちらも大切にするってことですもんね。
高度経済成長遂げて、「モノづくり大国」と呼ばれている日本。
そして、今もモノを作り続ける日本。
その「モノ作り」に込められているのは敬意か?それとも皮肉か?