住職の日記

様々な場所に浄土は存在する

様々な場所に浄土は存在する

地蔵寺を久々に遠目で眺めて見ます。

自分で言うのはなんですが、周り一面田舎景色でなかなかの眺めです。

田んぼからも冬の様子が伺えます。

さて、いつも同じ景色や場所に留まっていると、「そうではない」と思うかもしれませんが

偏った考え、狭い視野を持ちやすくなります。

従って、移動することが極めて有効だと思うのです。

ネットで自分の好きなサイトやコミニティに属するのもいいですが

実際にこうして自身の体が移動する事はまた格別のものがあります。

その場に有る景色をライブで感じ取れるのですから、そこから得るインスピレーションは

とても重要だと思うのです。

今テレビやネットでも、アーティストのライブやスポーツを楽しめたりしますが

実際にその場で得られる体験は、その言葉の通りその場に居た人しか得られません。

その場の熱気、周りの人との一体感そうしたものは、その「場」にしか落ちてません。

手軽なネットやテレビとは違う、「場」にはそういった価値があるのです。

従って、今世の中に存在するものが、ほとんどネットに取って代わる時代ですが

この場だけはそれは代用出来ないので

従って、リアルではこの場とか関係性というものに、力を注ぐことが、正解とも言えましょう。

僧侶は「サンガ」の漢写であり、その意味は「集団」を意味し

「縁欠不生」という言葉の通り、果は因と縁で成り立ちます。

仏法に従い生きていく事は、「厳しい」「苦行」というイメージを持たれている方も多いでしょうが

実は豊かに生きていく「術」「知恵」なのです。

ただ、そうしたリアルの世界は、すべてが自分と気の合う人ではありません。

従って、エネルギーを消費しやすいのも事実なのです。

そうして心体が疲れてきたら、ネットやSNSなどの現代の極楽浄土で、自分の気があった情報やコミニティを

遊覧し、リフレッシュしたり、逆にネット圏外のくらいの場所に行くことも有効でしょう。

ネットも浸透し、道路などの交通手段も発達しているので、それが実現し易い時代であるのです。

そう考えると、今は選択がいろいろ出来て、豊かに生きていける素晴らしい時代なのです。

ありとあらゆる場所に、様々な浄土が存在しているので、あっちに行ったりこっちに行ったりして

楽しむことが出来るのです。

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