住職の日記

早めに受け入れる

早めに受け入れる

秋ナスのしじ焼き。

もう最高です。

フワフワの食感がたまりませんね。

秋は美味しい物も沢山あるので楽しみですね。

さて、こうして立派な秋ナスが出来たのも、周りの縁を大切にしてきたからであります。

物事には、ご存知の通りすべて原因があります。

悪いことをしていたから結果は悪い、善いことをしていたから結果は善い、簡単に言うとそういう事です。

ですが、何の心当たりがなくとも、災厄は降りかかる事はあります。

それでも、それを受け入れる事が必要となります。

弘法大師空海様も「因縁を信ずる人が悟りの人であり 信ずる事が出来ない人が迷いの人」と仰られている様に

自分にその心当たりがなくとも、必ず因縁があったのです。

確かに、「違う、こんなはずじゃない」「何かがおかしいんだ」と受け入れまいとする気持ちは人間ですからわかりますが

それでは、永遠に迷いの森から出る事は出来ません。

そして、時間は有限でもあります。

更に二度とない得難い一生でもあります。

弘法様の言葉を信じ、甘んじて受け入れる事が、最善の道であります。

そうすることにより、災厄を福に転ずる事が出来るのです。

以前ある本で「病気になったことのない友人とは付き合うな」という文章に「なるほど」と納得しました。

私たちの理想は、みんな健康、幸せハッピーですが、それはこのシャバ(苦界)の世界においては

危険極まりない思想でもあります。

どんな道を辿ろうと、生老病死の苦からは逃れる事は出来ないのです。

つまり、我々は生まれた時から、「苦はつきもの」という条件の下に生を授かっているのです。

「そんな辛気臭い事なんて、まっぴらごめんだね」というのは、苦の存在を考えない様にしているだけなので

まるで解決になっていません。

そういう人に限って、苦難にぶち当たった時に周りや、あるかどうかわからないような存在のせいにしだすのです。

病気の苦しみを知っているからこそ、生きられる幸せがわかるのです。

一病息災という事ですね。

迷いの世界でこの貴重な時間を消費したくなければ、壮大な目標ですが、悟りの道を歩む事です。

そして、それは「受け入れる」から始まるのです。

悟るとは全てを受け入れることであります。

苦はあって当然。

遅かれ早かれ、受け入れる日が来るのです。

だったら、その存在を早くに認め、そのうえで時間を過ごすことで、この世で真の幸福に触れられるのです。

いちばん上に戻る