住職の日記

早く独りになろう

早く独りになろう

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サルスベリのひとりばえ。

人為の手を借りずに、芽生えました。

さて、大無量寿経というお経の中に「独生独死独去独来」という言葉がありますが

これは人は独り生まれ、独りで死に、やって来たのも独りなら去るのも独りという意味であります。

従って、人は他に依存せず独りで生きていく事が大切なのです。

というと、他と全く関わらない事を選び、物質的に孤独になることと思われる方もおられるかも知れませんが

それは違います。

この場合の独りとは、ブームや環境に依存しない、精神的独立をした状態を言います。

こうした、環境に依存しないということは、影響を受けにくいということで自我が働かない

状態とも言えますね。

つまり、自他共に「無い」この世は空であると知ることが大切であるのです。

そうすれば、そうしたことで、苦しんだり反対に上がったりせず、穏やかに暮らしていけるという

ことでしょう。

と言うことは、本当に独りで生きている人は、周りの施しを受け入れ、同時に懺悔出来る人とも

言えますね。

よって、「独りで生きる人」とは、懺悔の念をいだき、他のために尽くせる人の事を言うのです。

お釈迦様はこの世に流れる縁起の法則を悟られた方でありますが、神様の懇願もあってか

その後45年に渡り積極的に伝道をされました。

つまり、人の中に積極的に関わって行ったのです。

反対にインドで衰退した仏教集団は晩年人里離れた山に篭ったり、一般人の要望に答えなかったり

人と関わらず自己中心的な集団となっていったのです。

というように、この世で本当に「独り」なった人は、自然に他の為に行動出来るということですね。

反対に、確固たる自分が存在していると、「物質的に独り」になり、この虚空の世界に冥合出来ずあぶれ、

そこで苦が生じるのです。

「独り相撲」とありますが、昔力士が土俵の上で独りで相撲を取り、行司も行い

その滑稽な様子を皆で楽しんだ余興の一つなのです。

つまり、プライドを大切にし苦しんでいる姿は、独り相撲同様、滑稽であるということです。

そんな事せず、さっさと自分が出来ることをすればいいのですが、これまた難しいのです。

他のために行動しても「俺がしてやった」と思ってしまえば善行の押し売りになってしまい

見返りが働いての善行は悪行であるのです。

ですから、ひとりばえのように、ひとりでに(自然に)行えなければなりません。

だから、すべき事、出来る事、そして自分がしたい事この3つを混ぜ合わせて見返りを求めずに

行うことが大切になるのですね。

それを、この社会で自然に行える姿は、疑いの余地なく「仏」であるのです。

我々も早く独りになりましょう。

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