住職の日記

施餓鬼は餓鬼の供養



明日は施餓鬼会です。

施餓鬼とは「餓鬼に施す」と書くように

餓鬼の供養であります。

餓鬼とはこの世から供養を受けられない

いわゆる無縁仏であります。

そうした方々を我々が供養する事により

その我々の尊い姿を見て

ご先祖様も喜ばれ、ご先祖様の供養にもなり

ご先祖様が喜ばれると、我々も安心を得られるという

施餓鬼は大変素晴らしい行いなのです。

…我々は普段自分に関係する事には関心を持ちますが

関係無いと見るや否やあまり関心を持ちません。

例えば、全然知らない人が亡くなっても悲しむことはまずありません。

しかし、その人が自分にとって大切な人だったら話は別です。

そして、餓鬼道に落ちてしまった人は、好きで落ちた人ばかりでは無いはずです

自然災害や、事件に巻き込まれて、亡くなられた方もいらっしゃるわけで

逆に言えば、もしかしたら、それが自分だったかもしれないのです。

そう思うと、この施餓鬼の行為の大切さが理解できると思います。

そして、ご先祖様も自分は供養されているからいいが

隣に誰からも供養を受けられない方を見るのは大変悲しいはずです。

そこで、我々が供養をする姿を見て、大変喜ばれるのは言うまでもありません。

さらに、大事なのはこれは何もあの世のだけの話ではありません。

現世でもそれは当てはまるのです。

つまり、簡単に言えば困っている人がいたら助けると言う助け合いの精神であります。

直接自分に利益はなくても、そうした尊い行動は世を巡り巡ってその功徳が遍満し

やがて自分に大きな利益として還ってきます。

こうした施餓鬼を行い、そこで自分がどう言う気持ちになるのか?

体験をして、それを普段の生活でも行えるようにしたいですね。

いちばん上に戻る